いまは「解体中」なのかもしれない

OnlyFansで成人向けコンテンツを販売するオリンピアンの話題についてあれこれと思考を巡らせているうち、ふと自分の中にスッと一本の「補助線」が引かれたような気がした。

これまで、そうした性的なコンテンツというものは、AVメーカーや出版社といった「業界」がある程度しっかりと囲い込み、管理していた領域だった。それがネットの普及とともに、素人投稿、裏アカ、個人販売へと少しずつ解体されていき、ついには「有名人本人が、プラットフォームを通じて直接ファンに売る」というところまで行き着いた。

よくよく考えてみれば、これは一般的な娯楽の世界でもまったく同じことが起きている。 映画からテレビへ、テレビからネットへ。そして今や、誰もが手のひらのスマホ一台で、世界中へ向けて自分の番組を配信できる時代だ。 カメラに向かって「やばい!」と過激に煽る人。「ばーか!」と画面越しの相手を罵倒して怒りを買う人。常軌を逸した大食いや危険なパフォーマンスに走る人。「今までの常識は間違っている」と、あえて逆張りの異論を掲げてライブ配信を熱っぽく語る人。

一昔前なら、映画会社やテレビ局、出版社といった「関所」を通らなければ、これほど多くの人の前に立つことなど到底できなかった。その関所が綺麗になくなったのだから、ある意味ではとてつもなく自由で、フラットな世界になったと言える。

ただ、ここで私が感じたのは、私たちは今、まさにその「解体の途中」という特異な過渡期にいるのではないか、ということだ。

長く続いてきた文化や慣習、道徳観、あるいは「アスリートとはこうあるべき」といった職業イメージ。そうした旧時代の名残がまだ人々の頭の中に色濃く残っているからこそ、それを「少し壊してみせる」だけで、莫大な注目が集まるのだ。 「オリンピアンなのに、あんな成人向けコンテンツを出すなんて」という驚きも、まさにその一つだろう。

でも、もしこの先、多くの有名人やアスリートがごく当たり前にそういうコンテンツを直販する世界が来たらどうなるか。たぶん、「出していること」自体には何の価値もなくなるはずだ。

そこでふと思った。これって、歌手がCDを出すのと同じことなのではないか、と。 機材が安くなり、誰でも手軽に録音してネットで曲を配信できるようになった現在、「曲を出しました」という事実だけでは、誰も見向きもしてくれない。 圧倒的な歌唱力がある。声そのものに抗いがたい魅力がある。その人の生き様や物語に惹きつけられる。ただ「歌が上手い」からではなく、「ユーミンなら、あのユーミンの声でこの曲を聴きたい」と思わせるような、代替不能な個性がある人だけが生き残る。

性的なコンテンツも、もしこれが完全に一般化し、フラットな市場になれば、まったく同じ道を辿るのだろう。 「脱いでいます」「裸を見せます」だけでは売れない。身体的な魅力があり、その人自身に圧倒的な人気があり、「他の誰でもない、その人だから見たい」と思われる一握りの層だけが売れ続ける。 そうなった時、「こんなものを出したら人生終わりだ」という社会的なスティグマ(烙印)が弱まる一方で、「一線さえ越えれば簡単に大金が稼げる」という魔法のようなプレミアも静かに消滅していくはずだ。

今はまだ、世の中のあちこちに「旧来の境界線」が残っている。 だからこそ、その境界線を越えたり、壊したりするだけで、一時的に大きな注目と富が集まる。

しかし、全員が「ばーか」と叫び始めたら、もう「ばーか」という言葉に誰も振り向かなくなる。 全員が「常識を覆す真実!」と煽り始めたら、それはただの退屈な日常の風景になる。 全員が成人向けコンテンツを出し始めたら、「有名人なのに」というスキャンダラスな驚きも消え去る。

そう考えていくと、今のネット社会でひときわ目立って稼いでいるものの一部は、新しい時代の「完成形」などではないのだろう。それは、古い秩序や常識がまだ社会に残っているからこそ成立する、期間限定の「解体プレミアム」に過ぎないのだ。

そして、誰もがそのプレミアムに群がり、こぞって取りに行けば、最終的にはプレミアムそのものが食い潰されてゼロになる。

かつての強固な関所が壊れ、かといって新しい均衡点はまだどこにも見えていない。 私たちは今、そんな時代の騒がしい「解体工事」のど真ん中に立ち尽くしているのかもしれない。

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