Yahoo!ニュースで、YouTubeの大食い・モッパン系動画に対して収益化停止や動画削除が相次いでいるという記事を読んだ。
この記事を読んでまず頭に浮かんだのは、「大食いとショートスリーパーって、構造がかなり似ているな」ということだった。
私も「大食い王決定戦」というテレビ番組をよく見ていたが、ギャル曽根さんやもえあずさんのように、「一体その細い体のどこにそんなに入るんだ」と驚愕するしかない人々もいる。 一方で、動画の世界であればいくらでも「演出」ができてしまう。本当に全部飲み込んでいるのか。カットの声がかかった瞬間に吐き出していないか。実際には何時間もかけて撮影しているのではないか。画面の枠内から得られる情報だけでは、真実は分からない。
これ、ショートスリーパーをめぐる議論と構造がそっくりなのだ。 生まれつき極端に睡眠時間が短くても健康を保てる人(ショートスリーパー)は、医学的にも実在する。しかし、「そういう特殊な人が存在する」という事実と、「普通の人でも訓練次第でそうなれる」という主張は、まったく別の次元の話である。
もしここに「大食い大輔」という人物が突然現れて、こう言い始めたらどうだろう。 「私も昔は一人前しか食べられませんでした。でも、独自の大食いメソッドを開発し、今では10kg食べられます。ほとんどの人は、訓練さえすれば5kgくらいは食べられるようになります。説明会は3万円、本講習は60万円です」
たぶん、大半の人はかなり胡散臭く感じるはずだ。 そして、あの兼子ただし先生のような人が現れて、「普通の人が訓練によって安全に『大食い体質』になれるという、エビデンスはありますか?」と真っ当なツッコミを入れる(笑)。 そこで大食い大輔が「人間の胃の仕組みって、科学的に100%全部解明されているんですか?」と反論してきたら、「いや、論点はそこじゃないだろう」と誰もがずっこけるはずだ。胃のメカニズムに未解明な部分があることは、60万円の「大食いメソッド」が正しいことの証明には一ミリもならない。
ただ、大食いと短睡眠には決定的な違いもある。 それは「市場の需要」だ。普通の人は、そこまで「大食いになりたい」とは思わない。大食いができるようになっても、自由に使える可処分時間は増えないどころか、むしろ食事の時間も食費もかさむばかりだ。世間の需要は圧倒的に「少食になりたい」「健康に良いものを適量だけ食べたい」の側にある。
一方、短睡眠には「8時間睡眠が3時間になれば、毎日5時間も自分の時間が増える」という、とてつもなく強烈な商品価値がある。だからこそ、特殊な人が存在するという事実から「あなたもそうなれます」と飛躍させた商品が、ビジネスとして成立しやすい。「大食い大輔」がまだこの世に現れていないのは、科学的エビデンス以前に、単に市場の需要が弱いからなのかもしれない。
エントロピー増大への報酬の打ち切り
今回のニュースを見ていて、もう一つ強く感じたことがある。 大食い動画というコンテンツは、「普通ならそんなに食べない」という日常の秩序から大きく逸脱することで、絶大な注目を集めてきた。
一人前の定食を普通に食べている人はニュースにならないが、10kg食べる人はニュースになる。高所で安全柵の内側に立っている人はバズらないが、命綱なしでパフォーマンスをする人は世界中で注目される。普通に8時間寝る人はニュースにならないが、「私は30分しか寝ません」と言い切れば人が群がる。丁寧に言葉を尽くして対話する人よりも、「ばーか!」と叫んで相手を激昂させるTikTokerの方が、瞬間的には強い注意を奪える。
ここで、以前から考えていた「社会のエントロピー」の話と見事につながった。 物理学の厳密な意味とは異なる比喩だが、「秩序から大きく逸脱すればするほど、注目の微分値(瞬間的な傾き)を大きくできる」という構造が情報空間にはある。
大食いなら、「適量を食べる」「健康を害するほど無理をしない」「人間の胃袋には限界がある」という当たり前の秩序から外れる。その外れ幅(落差)が大きいほど、「嘘でしょ? そんなに食べるの?」という強烈な反応が生まれる。 するとそこには、「大食いする → 驚かれる → 再生される → 広告収入が増える → さらに極端なことをする」という、強固な【報酬表】ができあがる。
今回YouTubeが行った規約変更は、ある意味で「エントロピーを増やす行為への報酬の打ち切り」なのだと思う。 大食いそのものを社会から追放するわけではない。動画を投稿する自由まで奪うわけでもない。ただ、「この種類の秩序からの逸脱には、もう以前のような広告収益を紐付けませんよ」と、プラットフォーム側が報酬表をサラリと書き換えたのだ。
行動を直接禁止するのではなく、報酬を変えることで、人々の行動の分布を変える。これはまさに、私がここ数日考え続けていた「社会の報酬表」の機能そのものである。
プラットフォームが「解体プレミアム」を強制終了させた日
もう一つ、この大食い動画の隆盛には「解体プレミアム」が乗っていたのだと思う。 社会には「一人前」「腹八分目」「健康を害するほど無理して食べない」という食の常識と秩序がある。だからこそ、その秩序を派手に壊して「限界まで食べます」と宣言する人にはプレミアム(超過利得)が付く。 つまり、大食いクリエイターは単に食べ物を大量に消費しているのではなく、既存の食の常識との「落差」を商品化していたのだ。
でも、この解体プレミアムは永遠には続かない。全員が限界まで食べる世界になれば、それはもはや珍しくなくなる。10kgで驚かれなくなれば、次は15kg、20kgとエスカレートしていくしかない。刺激がインフレの極致に達するか、あるいは視聴者が単純に飽きるか。解体プレミアムとは本来、「古い秩序がまだ十分に社会に残っている間だけ」刈り取れる、一時的なボーナスなのだ。
「ばーか!」と喚くTikTokerが注目されるのも、普通の人がそんな暴言を吐かないからだ。「常識は全部嘘です!」が目立つのも、常識を共有している多数派がいるからだ。「オリンピアンなのに成人向けコンテンツ」がニュースになるのも、オリンピアンには清廉であってほしいという文化的な期待がまだ残っているからだ。 常識を解体して稼ぐ側は、実は「古い秩序が長い時間をかけて作り上げた意味」にフリーライドしている。
ところが今回は、そのプレミアムがインフレを起こして自然消滅するのを待たず、プラットフォーム(YouTube)側が自ら強制終了のキルスイッチを押した。
昨日までは「大食いする → 注目される → 広告収入が増える」だったのが、今日からは「大食いする → 注目されるかもしれない → でも広告収益は以前ほど付かない」になる。 「逸脱すればするほど儲かる」という報酬表が、ゲームの途中で突然書き換えられたのだ。
古い関所と、新しい秩序
そう考えると、大食いYouTuberたちにとっては相当にシビアな話である。 YouTubeは政府でもなければ、裁判所でもない。一介の民間企業に過ぎない。それなのに、「これは収益化してよい動画」「これは収益化しない動画」というルールを一つ決めるだけで、世界中のクリエイターの職業モデルを根底から破壊できてしまう。 もちろん、雇用関係がない以上、本当の意味での「リストラ(解雇)」ではない。でも本人の感覚からすれば、「明日から、あなたが今まで命を削ってやっていた仕事には給料を払いません」と宣告されたようなものだろう。
社会の報酬表を書き換えるのは一瞬でできる。しかし、その報酬表を前提にして構築してしまった「個人の人生」は、一瞬では書き換えられない。
一昔前なら、テレビ局の会議室で「これは危険すぎるからやめよう」「スポンサーが嫌がる」「放送倫理上まずい」と、企画段階でストップがかかっていた。そこには「古い関所」があったのだ。 やがてネットが普及し、その関所が解体され、「誰でも自由に動画を出せます」というフラットな時代になった。 すると今度は、市場の需要に最適化した、刺激の強い過激なコンテンツが大量に生み出されるようになる。 そして健康被害や社会的な問題が顕在化すると、今度はYouTubeという巨大なプラットフォームが「動画を出すのは自由ですが、この種類のコンテンツにはお金を付けません」という「新しい関所」を作り出す。
【旧関所】→【解体・自由化】→【野生化】→【問題の顕在化】→【新しい報酬表による再調整】
おそらく社会は、このサイクルを繰り返しているのだろう。 もちろん、テレビ局のような古い関所に戻ればいいとは思わない。上層部やスポンサーの顔色をうかがわなければ世に出られない社会には、明確な弊害があった。でも、「すべてを自由にすれば、市場原理で自然にうまくいく」というほど、人間社会は単純でもなかったのだ。
私たちは今、古い関所を完全に壊し終えたあと、散らかった瓦礫の中で「新しい秩序」を作り直している途中なのだと思う。
今回の大食い動画をめぐるニュースは、単なる一企業の規約変更の話題ではない。 解体プレミアムにどこまで報酬を与えるのか。エントロピーを増やす行為に対して、社会はどこまでお金を払い続けるのか。そんな文明レベルの「報酬表の再設計」が実際に始動していることを示す、象徴的な一例なのだと思う。

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