雨ニモマケズ② 「ヒドリ」を「一人」と読んでみる

前回の最後に、手帳の「ヒドリノトキハ」は「ヒトリノトキハ」なのではないか、と書いた。今回は、それが正しいかどうかはいったん脇に置いて、実際にそう読んでみたら何が起きたのかを書いておきたい。

ヒトリノトキハナミダヲナガシ。一人のときは、涙を流す。

そう読んだとたん、前半の一行が急にこちらへ近づいてきた。「イツモシヅカニワラッテヰル」。いつも静かに笑っている人が、一人になると泣いている。人前では笑って、一人のときには泣く。日照りで泣くよりも、ずっと一人の人間の内側が見えてくる。

「アラユルコトヲ/ジブンヲカンジョウニ入レズニ」の読み方も変わる。これを、自分には感情がない、という意味には読まない。自分にも欲はあるし、悲しみも、怖さも、疲れもある。ただ、人にどう接するかを決めるときの「勘定」には、それを入れない。一人のときには泣くほどの感情があって、それでも人前ではそれを出さない。そう読むと、「勘定に入れない」は、感情を持たない聖人の話ではなく、感情を抱えたまま踏みとどまっている人の話になる。

詩の中の空間も見えてくる。まず「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ/小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ」と、自分の拠点がある。そこから、東に病気の子がいれば行って看病し、西に疲れた母がいれば行って稲を背負い、南に死にそうな人がいれば行って声をかけ、北に喧嘩や訴訟があればやめろと言う。小屋を中心に、東西南北へ出ていくわけだ。そして用が済めば、一人で小屋に戻って涙を流す。一人のときが小屋の中だとは本文に書いていないので、ここは私の想像だけれど、そう読むと、この人の一日の動きのようなものが浮かんでくる。

それに、人助けには本当はコストがある。看病は疲れるし、病気がうつるのも怖い。稲束を背負うのは面倒だし、体もしんどい。死にそうな人に「怖がらなくていい」と言う本人だって、死は怖いはずだ。喧嘩や訴訟の仲裁なんて、板挟みでストレスもたまる。それでも、人に何かをするときには、自分の損得を勘定に入れない。でも、感情が消えたわけではないから、一人になると泣く。「ヒトリ」と読むと、賢治は聖人ではなくなって、くたびれた一人の人になる。

隣のページに目を移すと、「サムサノナツハ/オロオロアルキ/ミンナニ/デクノボート/ヨバレ」が来る。右のページの終わりに「ヒトリ」がいて、左のページに「ミンナ」がいる。一人のときに見せるのは涙で、みんなの前で見られてしまうのは、オロオロしている姿だ。

寒い夏、つまり冷害は、人間の力ではどうにもならない。農学の知識があっても、気温そのものを上げることはできない。だから、何とかならないかと外をオロオロ歩き回る。それを「みんな」が見ている。周りから見れば、何をしているんだあの人は、という頼りない姿で、だからデクノボーと呼ばれる。オロオロ歩くところから、人に見られ、デクノボーと呼ばれるところまでが、一つの情景としてつながる。

逆に「日照りで泣く」だと、そこだけが少し浮いて見えた。小屋にいて、東西南北で人を助け、日照りになると泣き、冷夏にはオロオロ歩き、デクノボーと呼ばれる。なぜ泣くのか、どこで泣いているのか、その涙を誰が見ているのか。日照りに苦しむ農民を思って泣くのだ、と説明することはできるけれど、その説明は読み手の側で足さなければならない。「一人のときは泣く」なら、それだけで意味が通る。

並びとしても、東の病気の子、西の疲れた母、南の死にそうな人、北の争う人と、四方すべての他者を描いたあとに、「一人のとき」が来る。他人との関わりを四方向ぶん書き終えて、最後に自分だけになった時間へ移るわけだ。「ツマラナイカラヤメロトイヒ」から「ヒトリノトキハナミダヲナガシ」へも、やめろと言って、一人になったら泣く、という行動の流れとして素直につながる。

そう考えると、人助けをしているのに、なぜデクノボーなのか、という疑問にも答えが出る。東西南北の人助けは、どれも一対一の具体的な行いだ。「自分を勘定に入れず」と読むなら、それを自分の善行として数え上げたり、評価を取りに行ったりしない人物にも見えてくる。これは、人助けをしているのにデクノボー、という矛盾の一つの解き方だと思う。一方で、冷夏に外をオロオロ歩く姿は、みんなに見えてしまう。外から見える部分だけを並べれば、たしかにデクノボーだろう。

「ホメラレモセズ/クニモサレズ」も、褒められたい気持ちがない、という意味とは限らない。人間だから、認められたい気持ちくらいはあるかもしれない。でも、褒められるかどうかを、動くかどうかの勘定には入れない。嫌われないために動くわけでもない。必要だと思うから動く。その結果、褒められもしないし、厄介者として煙たがられもしない。

一文字を読み替えただけで、スペック表だった詩が、一人の人間の一日になった。

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