最近、ベランダのビオトープをいじっていて、ずっと同じところで引っかかっている。
トロ船をいくつか連結して、水を循環させている。
ポンプで水を持ち上げて、上から下へ流す。濾過槽もつけて、なるべく自然に近い形を再現しようとしている。
設計としては、ちゃんとできているはずだった。
通り道はつながっていて、滞りなく流れている。
濾材も潤沢だし、オーバーフローも問題ないはずだ。
それでも、うまくいかない。
あるトロ船にだけ、アオミドロが発生する。
同じ水が回っているはずなのに、そこだけ増える。
流れはあるのに、そこだけ、どこか違う。
逆に、一つのトロ船に絞って、餌もほとんど与えず、ほぼ放置したときの方が、妙に安定したりする。
つながっているのに、同じにならない。
設計しているのに、意図したとおりに流れない。
水は、設計図に忖度しない。
ただ、抵抗の少ない方へ流れるだけだ。
この感覚、どこかで見たことがあると思った。
最近の自転車のルールも、似ている。
ヘルメットの努力義務化や、青切符の導入など、秩序を整えようとする動きが進んでいる。
でも現場を見ると、どうにも噛み合っていない。
車道は危険で、歩道は狭い。
自転車道は十分に整備されていない。
ルールは増えているのに、流れる場所がない。
これは単に制度設計の問題ではなく、もっと根本的なズレのように見える。
ルールは、人の動きを前提に作られる。
でも人は、ルール通りには動かない。
水と同じで、抵抗の少ない方へ流れる。
だから、ルールを増やしても、流れ方は変わらない。
むしろ、設計意図とのズレが表面化するだけだ。
ビオトープでも同じことが起きている。
流れを強くすればいいわけでもないし、濾過を増やせばいいわけでもない。
むしろ、与えすぎると崩れる。
この「与えすぎると壊れる」という感覚は、別のところでも見たことがある。
完全な食料と住環境を与えられたマウスの実験では、最終的に繁殖が止まり、個体群が消滅したという話がある。
一見すると楽園のような環境だが、実際には閉鎖され、過密になり、関係や役割が崩れていく。
その結果、循環が止まる。
重要なのは、食料があるかどうかではない。
流れているかどうかだ。
逆に、食料が豊富で、繁殖が止まらない場合には、蝗害のように爆発的に増えて、資源を食い尽くして崩壊する。
不足でも壊れるし、過剰でも壊れる。
ルールでも壊れるし、放置でも壊れる。
では、何が残るのか。
おそらく、「流れ」だけが残る。
ビオトープを見ていると分かる。
水はつながっていても、環境は均一にならない。
光の当たり方や流速の違いで、局所ごとにまったく違う状態が生まれる。
止水域もできるし、流れの速い場所もできる。
それでも、全体として流れているとき、系は生きている。
逆に、どこかで流れが止まると、そこから崩れ始める。
社会も、同じようなものかもしれない。
均一に整えることでもなく、完全に自由にすることでもなく、
ただ、流れが維持されている状態。
それは、きれいに設計された状態ではなく、
むしろ、少し歪んでいて、少し不完全で、局所ごとに違いがある状態だ。
ルールは、その流れに沿うときだけ機能する。
流れを作ることはできない。
ビオトープの水も、自転車も、マウスの社会も、
全部同じ構造で動いている。
流れているか、詰まっているか。
それだけの違いなのかもしれない。

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