第7回 脱ピラミッドではなく、上澄み移動術ではないか(ワクワクは、誰の足場の上に咲いているのか)

第7回 脱ピラミッドではなく、上澄み移動術ではないか

ここまで、お金のない世界について考えてきた。

お金は、人間を冷たくする。
お金は、あらゆるものを商品に変える。
お金は、労働も、時間も、自然も、人間関係も、価格の中に閉じ込めてしまう。

その批判には、確かに見るべきものがある。

しかし同時に、お金は、見知らぬ他者と協力するための信用技術でもある。
そして、現代社会の食料、医療、道路、水道、下水、電気、物流、農業、災害対応は、貨幣、制度、行政、専門職、企業、税、契約、インフラの複雑な組み合わせによって成り立っている。

だから、お金を消せば人間本来の信頼が戻る、とは簡単には言えない。

むしろ、貨幣が担っていた抽象的な調整機能が失われたとき、土地、水源、食料、武力、血縁、共同体内序列、宗教的権威、思想的カリスマが、新しい通貨として現れる可能性がある。

この問題は、そのまま「脱ピラミッド」という言葉にもつながっている。

雑栗わかる氏やオンクリ的な文脈では、「ピラミッド社会」から抜けることが語られる。

会社。
学校。
国家。
行政。
貨幣経済。
大企業。
マスメディア。
医療。
管理社会。
競争社会。
上下関係。
支配構造。

そうしたものが、しばしば「ピラミッド」として描かれる。

その上で、

「自分軸で生きる」
「ワクワクに従う」
「好きなことをする」
「個神として立つ」
「お金よりエネルギーを循環させる」
「ピラミッドから降りる」

という方向が示される。

この言葉には、たしかに魅力がある。

会社の中で疲れ切っている人。
評価や数字やノルマに追われている人。
人間関係に消耗している人。
親や世間の期待に縛られてきた人。
「ちゃんとしなければ」と思い続けて、自分の感覚を失ってしまった人。

そういう人にとって、「脱ピラミッド」という言葉は、救いのように聞こえる。

もう、競争しなくていい。
もう、他人の評価で生きなくていい。
もう、嫌な仕事を続けなくていい。
もう、組織の命令に従わなくていい。
もう、自分のワクワクを取り戻していい。

この解放感は、分かる。

実際、働き方を見直すことは大切である。

正社員からパートに変える。
逆に、不安定なアルバイトから正社員を目指す。
東京を離れて、地方の中核都市で暮らす。
長い通勤をやめて、リモートワークできる資格を取る。
支出を減らす。
副業を小さく始める。
人間関係を整理する。
心身を壊す職場から離れる。

こうしたことは、人生を守るために必要な場合がある。

だから、「ピラミッド社会との付き合い方を見直す」こと自体は、とても大切である。

しかし、それを「脱ピラミッド」と呼ぶとき、私は少し立ち止まる。

本当に、そこから脱しているのだろうか。

それは、ピラミッドを壊すことなのか。
ピラミッドから物理的に降りることなのか。
それとも、ピラミッド内での位置取りを変えているだけなのか。

ここを分けて考える必要がある。

本当に「脱ピラミッド」と呼ぶなら、少なくとも三つの可能性があると思う。

一つ目は、ピラミッドそのものを組み替えることである。

労働、教育、福祉、インフラ、地域、所有、分配、意思決定の仕組みを変えて、より望ましい社会を作る。
会社や国家や行政や市場の問題点を批判するだけでなく、ではどういう制度設計なら、より多くの人が生きやすくなるのかを考える。
貨幣、公共性、共同体、自然、技術、福祉、教育をどう組み合わせるのかを考える。

これは、社会思想である。

私が考えているベクトラブの方向は、少なくともこちらに近い。もちろん完璧ではない。実現できるかも分からない。けれど、少なくとも「では社会全体をどう組み替えるのか」という問いを持とうとしている。

二つ目は、ピラミッドから物理的に降りることである。

低消費。
自給自足。
共同体生活。
都市インフラへの依存を減らす。
水、食料、燃料、住まい、衣服、医療、移動、通信を、できるだけ自分たちで担う。
便利さを手放し、不便とリスクを引き受ける。

これは、かなり厳しい道である。

冷暖房を減らせば、暑さ寒さを受け入れる必要がある。
車を使わなければ、移動範囲は狭くなる。
電気を減らせば、情報や照明や冷蔵や通信に制限が出る。
水道に頼らなければ、水源管理と浄化が必要になる。
医療から遠ざかれば、病気や怪我のリスクを引き受けることになる。
警察や消防から遠ざかれば、治安や火災への備えを共同体で担うことになる。

これが本当にできるなら、それは一つの脱ピラミッドである。

しかし、ほとんどの人が語る「脱ピラミッド」は、ここまで行かない。

三つ目は、ピラミッド内での位置取りを変えることである。

会社員、現場労働者、雇用労働者、制度維持の担い手として働く側から離れて、情報発信、自己表現、オンラインサロン、講座、ハンドメイド、スピリチュアル商品、ファン経済、注意経済の側へ移る。

これは、現実にはとてもよくある。

会社を辞める。
発信者になる。
思想や体験談を語る。
共感してくれる人を集める。
オンラインサロンを作る。
講座を売る。
グッズを売る。
自然派の商品を売る。
手作りの作品を売る。
「自分らしく生きる方法」を商品化する。

これは、個人の人生戦略としては有効である。

嫌な職場から抜ける。
自分の言葉で生きる。
得意なことを小さな商いにする。
ファンや仲間とつながる。
収入源を会社以外に作る。

それ自体は、悪いことではない。

むしろ、これからの時代には、そういう生き方も増えていくだろう。
会社だけに依存しない働き方を作ることは、現実的な選択肢である。
自分の経験や言葉を商品化することも、能力の一つである。

しかし、それを「脱ピラミッド」と呼ぶと、話が変わる。

なぜなら、それはピラミッドを壊しているわけではないからである。

ピラミッドから降りているわけでもない。

むしろ、ピラミッド社会が維持しているインフラ、通信、決済、物流、医療、道路、法律、教育、治安、プラットフォームの上で、より有利な場所へ移動しているだけではないか。

ここに、私の強い違和感がある。

たとえば、早期退職して、会社員を辞める。
実家の庭にキャンピングカーを置いて暮らす。
オンラインサロンの会費で毎月収入を得る。
YouTubeやXで好きなことを発信する。

これは、本人にとっては確かに「脱会社」かもしれない。

会社の上司から命令されない。
満員電車に乗らない。
勤務時間に縛られない。
組織の評価制度から離れる。
自分の言葉で生きる。

その意味では、解放である。

しかし、社会階層として見たとき、本当に下がっているのだろうか。

むしろ、上がっているのではないか。

会社員時代は、たとえエリートサラリーマンであっても、組織の中では労働者である。給与を受け取り、評価され、上司や会社の方針に従い、時間を拘束される。

しかし、発信者になり、オンラインサロンを運営し、思想や物語や共感を収益化できる側に回ると、構造は変わる。

今度は、自分が人を集める側になる。
語る側になる。
課金される側になる。
注意を集める側になる。
思想や感情や体験を商品にする側になる。

これは、ピラミッドの外に出たというより、ピラミッド内の「命令される側」から、「語って課金される側」へ移動したと言った方が近い。

もちろん、それは能力である。

人を集める力。
言葉にする力。
動画を作る力。
物語を作る力。
共感を得る力。
継続課金の場を運営する力。

それらは誰にでもできることではない。

だから、その成功自体を貶めたいわけではない。

問題は、それを「脱ピラミッド」と呼ぶことにある。

なぜなら、その発信者が使っているスマホも、通信回線も、動画配信プラットフォームも、決済システムも、道路も、電気も、医療も、行政も、法律も、警察も、消防も、すべてピラミッド社会の成果物だからである。

さらに、その発信を見ている人々の多くも、ピラミッド社会の中で働き、給与を得て、その給与からオンラインサロンの会費を払っている。

つまり、サロン収入は、ピラミッド社会の外から自然発生しているわけではない。

会社員。
公務員。
介護職。
看護師。
事務員。
工場労働者。
運送業者。
現場作業員。
販売員。
教師。
主婦。
学生。

そうした人々が、既存社会の中で得たお金を、発信者に払っている。

だとすれば、これはピラミッドの外部ではない。

ピラミッド社会の中で生まれた余剰、疲労、孤独、違和感、救いへの欲求を、思想やスピリチュアルや自己表現によって受け取り、収益化している構造である。

繰り返すが、それ自体が悪いと言いたいのではない。

人の苦しみに言葉を与えることには価値がある。
会社や社会に疲れた人の避難所になることにも価値がある。
オンラインサロンが、孤独な人に居場所を与えることもある。
ハンドメイドや自然派商品や占いや相談が、誰かの心を支えることもある。

しかし、それはピラミッドの外ではない。

むしろ、ピラミッド社会を前提にして成立している、上澄みの領域である。

ここで、はっきり言葉にすると、

それは「脱ピラミッド」ではなく、
「ピラミッドの上澄みに移動する技術」ではないか。

これが、私の見立てである。

ピラミッドを壊すわけではない。
ピラミッドから降りるわけでもない。
ピラミッドの下支え労働から離れて、自己表現、共感、思想、注意、感情、物語を商品化できる領域へ移動する。

これは、現代的な成功戦略である。

肉体労働より、情報発信。
雇用労働より、個人ブランド。
制度維持より、思想販売。
現場対応より、オンラインサロン。
下支えより、共感経済。

そういう移動である。

そして、ここで重要なのは、その移動ができる人は限られているということだ。

発信力がある人。
言語化できる人。
過去に教育を受けている人。
スマホやネットを使える人。
一定の時間がある人。
生活の安全網がある人。
失敗しても戻れる場所がある人。
自分の経験を商品化できる人。
共感してくれる顧客層に届く人。
初期のファンを持てる人。

こうした条件がなければ、ピラミッドの上澄みへ移動することは難しい。

そして、さらに大きな問題がある。

もし「目覚めた人」が上澄みへ移動し、「目覚めていない人」が下支え労働を続ける構造になるなら、それは本当に脱ピラミッドなのか。

介護をする人。
ごみを回収する人。
下水を処理する人。
道路を直す人。
物流を担う人。
消防に出る人。
災害現場に入る人。
病院で夜勤する人。
税を徴収する人。
苦情対応する人。
家畜を解体する人。
汚れ仕事をする人。

そういう人々が引き続き社会を支える。

一方で、そこから抜けた人が、

「ワクワクに従えばいい」
「好きなことで生きればいい」
「お金よりエネルギー」
「脱ピラミッド」

と語る。

すると、何が起きるか。

目覚めた人は、上澄みへ。
目覚めていない人は、下支えへ。

この構図になってしまう。

それは、脱ピラミッドどころか、新しいピラミッドではないか。

しかも、その新しいピラミッドは、古いピラミッドよりも見えにくい。

古いピラミッドでは、会社、役職、給与、命令系統、労働時間が見える。
しかし、新しいピラミッドでは、「自由」「ワクワク」「共感」「エネルギー」「個神」「愛」という言葉で包まれている。

だから、上下関係が見えにくい。

しかし実際には、語る人と聞く人がいる。
課金される人と課金する人がいる。
思想を売る人と買う人がいる。
上澄みに移動した人と、下支え労働を続ける人がいる。

これは、非常に現代的なピラミッドである。

私は、会社を辞めることを否定したいのではない。

自分に合った働き方を探すことは大切である。
雇用労働から離れることも、一つの選択である。
発信や創作で生きることも、尊い努力である。
嫌な場所から逃げることも、ときには必要である。

しかし、それを「社会から抜けた」「ピラミッドから降りた」と言うなら、もう少し慎重でありたい。

本当に抜けたのか。
それとも、支えられる場所を変えただけなのか。
支える側から、支えられながら語る側へ移っただけではないのか。
下支え労働を誰かに残したまま、自分だけが上澄みに移動したのではないか。

この問いを持つ必要がある。

脱ピラミッドを本気で語るなら、ピラミッドの下で働く人々を見なければならない。

社会の根を見なければならない。

電気を作る人。
水を管理する人。
下水を処理する人。
道を直す人。
ゴミを集める人。
病人を看る人。
高齢者を介護する人。
火事に向かう人。
災害現場に入る人。
行政の地味な調整をする人。
書類を整える人。
制度を維持する人。
嫌われる説明をする人。

その人たちがいるから、上澄みの自由が成り立っている。

花が咲くのは、根があるからである。

ワクワク、自己表現、創作、サロン、自然派商品、スピリチュアル。
それらは、花である。
美しい花であることもある。
人を癒やす花であることもある。

しかし、花は土から切り離されて咲くことはできない。

根を軽蔑しながら、花だけを誇ることはできない。

ここが、私の違和感の芯である。

「脱ピラミッド」と言うなら、せめて問いたい。

あなたが抜けた後、そのピラミッドの下支えは誰が担うのか。
あなたのスマホ、通信、道路、水道、電気、医療、物流、治安は誰が維持するのか。
あなたのサロン会費を払う人々は、どこでお金を得ているのか。
あなたが語る自由は、誰の不自由の上に成り立っているのか。
あなたのワクワクは、誰の足場の上に咲いているのか。

この問いに答えないままの「脱ピラミッド」は、あまりに軽い。

それは、ピラミッドを壊す思想ではない。
ピラミッドから降りる実践でもない。
ピラミッドの上澄みに移動する技術である。

そして、その技術を「目覚め」や「愛」や「宇宙」の言葉で包むとき、下で支える人々はますます見えなくなる。

私は、それが嫌なのだと思う。

ワクワクを否定したいのではない。
自由を否定したいのでもない。
会社を辞めることを批判したいのでもない。

ただ、自由を語るなら、その自由を支える根を見たい。
花を語るなら、その花を支える土を見たい。
脱ピラミッドを語るなら、ピラミッドの下で今も働いている人々を見たい。

そこを見ない思想は、どれだけ美しくても、どこかで人を踏んでいる。

少なくとも、私にはそう見える。

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