今日はもう一つ、自分の考え方のクセに気づいた。
例えば、飼育していたメダカが死んだら、
「かわいそう……」
と悲しむ人がいる。
私はもちろん、死んでもなにも感じないわけではない。
でも同時に湧き上がってくるのは、
「なぜ死んだんだろう?」
「水質かな?」
「酸欠かな?」
という分析だったりする。
そして、ふと考えてしまう。
「そんなにメダカ一匹がかわいそうなら、シラス丼は食べられなくない?」
「ヤマトヌマエビが干からびて死んだことを悲しんでいたけど、今日はオキアミのふりかけを食べていたよね?」
もちろん、揚げ足を取りたいわけじゃない。
ただ、自分の中では、
「命の価値を考えるルールは、どこまで適用されるんだろう?」
という疑問が自然に湧いてくる。
そう考えていたら、戦争のことを思い出した。
兵士Aが、
「家族を守るため」
に敵兵Bを撃つ。
その気持ちは理解できる。
でも私の頭の中では、その瞬間に、
「Bにも家族がいるよね。」
という考えが浮かんでしまう。
Bにも帰りを待っている人がいて、
守りたい人がいて、
Aが引き金を引くことで、その人生が断ち切られる。
だから私は、
「自分の大義名分で、誰かを殺す」
ということを想像すると、とても苦しくなる。
今日気づいたのは、
私は感情が薄いというより、
「自分に当てはめるルールを、相手にも当てはめてしまう」
クセがあるのかもしれない。
自分だけを特別扱いしたくない。
味方だけを特別扱いしたくない。
だから、いつも
「もし立場が逆だったら?」
を考えてしまう。
もちろん、現実はそんなにきれいではない。
人は家族を優先するし、
友人を大切にするし、
知らない人より身近な人を守る。
それも人間らしさなんだと思う。
でも私は、
その「人間らしい偏り」を見ると、
「その境界線はどこにあるんだろう?」
と考え始めてしまう。
もしかしたら、私は答えを探しているのではなく、
世界のルールを、対称になるように並べ替えるパズルを解いているだけなのかもしれない。

コメント