皇室のすごさは、漢字のすごさに似ている

「地球上の人間はすべて両親がいる。」

そう言われると、たしかにそのとおりだと思う。

天皇家だけが先祖を持っているわけではない。田中家にも山田家にも、ずっと遡れば数え切れないほどの先祖がいる。

ただ、この見方は少し、ものごとを分解しすぎているのかもしれない。

たとえば、すごい歌手について、

「歌って、声帯を震わせて空気を揺らしているだけですよね。酔っ払いのおじさんでも、鳥でも歌えますよ」

と言うことはできる。

漢字についても、

「漢字って、線を組み合わせただけの形ですよね。『一』くらいなら幼児でも書けますし」

とも言える。

どちらも、物理的な説明としては間違っていない。

けれど、歌のすごさは、声帯が振動したことだけにはない。

その歌が多くの人に届き、感情を動かし、国や言語を越えて広がり、時代が変わっても聴かれ続ける。そこまで含めて、初めて「すごい歌」になる。

漢字のすごさも、線の形そのものだけにはない。

たとえば、木を表す文字は、別に「木」でなくてもよかった。

「一」でも「+」でも「🌰」でもよかったはずだ。文字は人間が決めた記号だから、自然界に「木という植物は、この形で書きなさい」という決まりがあるわけではない。

けれど今、私が一人で、

「今日から🌰を木という意味で使います」

と決めても、誰にも伝わらない。

私の頭の中では🌰が木でも、他人の頭の中ではそうなっていないからだ。

漢字のすごさは、「木」という形を誰かが思いついたことではない。

大勢の人が同じ形を見て、同じ意味を思い浮かべる。その結びつきが、地域や世代を越えて受け継がれてきたことにある。

皇室も、これに似ている。

皇室のすごさは、単に「天皇家にも先祖がいた」ということではない。

最初から天皇家でなければならない自然法則があったわけではない。別の家が日本の中心的な王統になった可能性も、理屈の上ではあっただろう。

それでも長い時間をかけて、多くの人が、目の前の一人の人間を単なる個人ではなく、

「先代から続く天皇」
「日本という国の象徴」
「過去から未来へ続く皇室の一員」

として認識し続けてきた。

人は入れ替わる。時代も制度も変わる。天皇の政治的な役割も大きく変化した。

それでも「天皇」「皇室」という概念は途切れず、現代の日本人にも通じている。

神武天皇から本当に2600年以上、完全に同じ血統が続いているのか。皇室制度を今後も同じ形で残すべきなのか。それはまた別の議論である。

長く続いたから正しい、ということではない。

ただ、「2600年以上続いてきた」と語られる物語そのものが、今も多くの日本人の頭の中で意味を持っている。その事実は否定できない。

皇室を尊敬する人にも、廃止したい人にも、「皇室」という言葉は通じる。賛成と反対が成立するのも、まず同じ概念を共有しているからだ。

漢字が、ただの線ではないように。
歌が、ただの声帯の振動ではないように。
皇室も、ただ先祖から子孫へ血が流れたというだけではない。

その現象と意味を、大勢の人が結びつけ、何世代にもわたって受け渡してきた。

起源は偶然だったかもしれない。

けれど、偶然に始まったものが、これほど長く人々の中で意味を失わずに生き続けていること。

皇室の歴史的なすごさは、そこにあるのだと思う。

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