タイムズカーで大規模な個人情報漏えいがあった、というニュースを見た。
私はタイムズカーのアカウントを持っている。なので記事を開いて真っ先に出てきたのは、この一言だった。
え、私の免許証は?
漏れたのは氏名、住所、生年月日、電話番号、メールアドレス、運転免許の情報で、一部には免許証そのものの画像まで含まれているらしい。件数にして約660万件。免許証の画像まで漏れていたらどうしよう、顔と名前と住所が結びついて悪用されたら嫌だな、本人確認に使うはずの画像が外に出ていくのはやっぱり怖い、と、記事を読みながらかなり生々しい不安が湧いてきた。それで最初は、酷い、免許証の画像なんて漏らして大丈夫なの、という話ばかりしていた。
でも話しているうちに、だんだん別のところが気になってきた。免許証の画像って、よく考えると個人情報の幕の内弁当みたいなものだ。顔と本名と住所と生年月日が、一枚にきっちり詰め合わせてある。そこに電話番号やメールアドレスまで加われば、全部が一人の現実の人間にきれいに紐づいてしまう。一つひとつなら大したことのない情報でも、別の流出データや公開されている情報、SNSなんかと突き合わせれば、勤務先や家族関係、資産状況、一人暮らしかどうかまで推測できてしまいそうだ。そこまで分かれば、660万件のアドレスに雑な詐欺メールをばらまかなくても、「この人は狙う価値がありそうだ」という人だけを選び出すことができる。
そこに、今はAIがある。顔の画像さえあれば、本人そっくりの偽の画像や動画が作れてしまう時代だ。たとえば本人の顔で偽のアダルト画像を作って、本名宛てに「○○さん、この画像を職場や家族にばらまかれたくなければ100万円払ってください」と送りつける。これだけでも十分に怖いのに、送り先が本人ではなく親だったらどうだろう。「川口市役所に勤めている○○さんのお母さまですよね。息子さんのこんな画像が出回っています」なんて届いたら、信じてしまう人はかなりいると思う。
しかも本人のメールアカウントまで乗っ取られていたら、本人の本当のアドレスから「お母さん、ごめん。今日中に100万円必要なんだ。自分で50万円までは用意したけど、あと50万円だけ助けて」と送ることもできてしまう。親が心配して「本当にあなたなの?」と返信したところで、返事を書くのは乗っ取った犯人だ。確かめたつもりで、犯人とやりとりしているだけになる。
んー。これはけっこう詰んでいる。
そこで出てきたのが、AI時代はむしろアナログな本人確認のほうが強いんじゃないか、という話だった。家族のあいだで、先にルールを決めておけばいい。お金を要求されたら、その連絡には返信しないで、職場の代表電話にかけて本人を呼び出し、直接確かめる。自分も、家族から急にお金をもらうようなことはしない、必要なら直接会いに行く、と宣言しておく。振り込むにしても、あらかじめ決めた口座以外には絶対に振り込まない。最新のAI詐欺に対抗する切り札が「職場の代表電話」というのは、なんだか急に昭和っぽくて可笑しいけれど、筋は通っている。AIが高度になればなるほど、顔や声、動画、文章、メールアドレスといった「デジタル上の本人らしさ」は信用できなくなっていく。そのぶん、現実の世界で、独立した別の経路を使って確かめることの価値が上がっていくのだと思う。
で、ここでふと思った。AIでどんな画像でも作れるようになったら、逆に画像そのものの価値がなくなるんじゃないか。顔写真からアダルト画像を作るのが当たり前になれば、誰かの裸の画像がネットに出回っても、「どうせAIでしょ?」で終わる。ということは、本当にアダルト画像を流出されてしまった人にとっては、ある意味で朗報なのかもしれない。本人が「あれは本物です」などと言い出さない限りは。
笑😂
あれ? と思ったのは、そこからだった。人類の歴史をまるごと眺めてみると、「写真や動画がある=現実に起きたこと」と素直に信じられた時代って、実はほんの一瞬だったんじゃないか。人類の歴史のほとんどの期間、写真なんてものは存在しなかった。写真が広まって、カラー写真やテレビや動画が日常になったのは、長い目で見ればついこのあいだのことだ。そして、その「画像があるから事実」という前提が、もうAIによって崩れ始めている。写真がなかった時代があって、写真が現実の強い証拠になった時代があって、今は何でも生成できてしまうせいで、画像だけでは証拠にならない時代に入りつつある。私たちはどうやら、その真ん中の短い時代の、終わりかけのところに立っているらしい。
そうなると、「このアカウントの人物は本当にAさん本人なのか」を一点で確かめることより、「このアカウントが過去10年間、どんな発言をして、誰と関わり、どう振る舞ってきたか」という履歴の積み重ねのほうが、ずっと大事になってくる気がする。顔も声も文章も、今はコピーできる。でも10年分の人間関係や、発言の移り変わり、やらかした失敗、趣味、過去の出来事との辻褄までを、まるごとでっち上げるのは難しい。10年分の黒歴史を偽造するのは、さすがのAIでも骨が折れるはずだ。本人性というものが、「顔や戸籍と一致しているか」から、「時間方向に積み上がった主体の継続性」のほうへ、少しずつ移っていくのかもしれない。
というか、AIでデジタルコンテンツが何でもありになるなら、インターネットそのものが、人間の夢や妄想に近いものになっていくんじゃないか。夢の中なら、人は有名人を裸にすることも、空を飛ぶことも、死んだ人と話すこともできる。でも普通は、「昨日、夢で部長が裸だった」からといって、翌日会社で「部長は裸でした!」と事実として報告したりはしない。そんなことをしたら、ちょっと不思議な人だと思われる。将来はきっと、「ネットで部長の裸の画像を見た!」と言っても、「……ネットでしょ?」と流される。画像が存在することと、その出来事が現実に起きたことが、イコールでつながらなくなるのだ。
もちろん、何もかもがどうでもよくなるわけではない。たとえば9.11で、飛行機がビルに突っ込んでいく映像。あれが本物かどうかは、歴史にも、安全保障にも、司法にも、政策にも関わってくるから、社会として真正性を確かめる意味はものすごく大きい。一方で、部長が裸だった画像のほうは、本物だろうが偽物だろうが、ほとんどの人の人生には関係がない。だとすると将来は、「この画像は本物か?」より先に、「そもそも、この画像が現実だったかどうかを確定する社会的な必要があるのか?」という問いが立つようになるんだろう。公共的なものや法的に重要なものだけは、撮影の経緯や時刻、場所、複数の独立した記録を突き合わせて、厳密に真正性を確かめる。それ以外のネットの画像は、「そういうデジタルコンテンツが存在する」というだけのもので、夢や空想と少し似た位置づけになっていく。
ここまで考えて、ふと、ニュースを見た瞬間の自分のところに戻ってきた。写真が現実の証拠だった時代がほんの一瞬だったのなら、「自分の画像が漏れたら困る」というこの感覚も、同じ一瞬の中でしか成り立たないものなのかもしれない。
1000年後には、顔写真はもう本人確認の決め手ではなくなっているだろうし、本人性は今とはまったく別のやり方で確かめられているだろう。画像が現実を写したものなのか、生成されたものなのかを区別すること自体、今とは違う意味になっていてもおかしくない。そんな時代の誰かが、何かの偶然で、2026年9月にこんな出来事があったことを知ったとする。その人はたぶん、当時の本人確認の仕組みも、顔写真の流出がなぜ危なかったのかも、知識としては完全に理解できるだろう。
でも、この感覚まで分かるだろうか。正直に言えば、ニュースを見たときの私の中にあったのは、不安だけじゃなかった。え、私の免許証も漏れたの? と焦りながら、どうせ実際には何も起こらないだろうと妙に楽観していて、補償金とか出るのかな、なんて少し下世話なことも考えている。Xではどれくらい騒がれているんだろうと、野次馬根性まで顔を出す。大きな事件が起きたときの、少しざわざわしたお祭りみたいな空気もあるし、タイムズという突然現れた新しい批判対象に、なぜか妙に気持ちが上がっている自分もいる。そういう矛盾したものが全部いっぺんに混ざった、いま、この瞬間の、この感覚まで。
1000年といえば、ちょうど清少納言と私たちのあいだくらいの距離だ。私たちは今でも、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは……」を読んでいる。当の清少納言にとっては、ひょっとすると、「春ってやっぱ夜明けがエモくないですか? 山がだんだん白っぽくなってくる感じ。あと紫っぽい雲が細く伸びてるの、マジでいいですよね(語彙力)」くらいの、生々しい現在形の感想だったのかもしれない。それが残ったおかげで、私たちは春の明け方を眺めながら、清少納言もこれを見ていたのかな、と、一瞬だけ時間を越えて、同じ景色の前に立つことができる。
最初は「タイムズ、免許証の画像まで漏らしたの? 酷い!」というだけの話だったのに、詐欺メール、家族のルール、写真の歴史、夢の中の部長、9.11を経由して、気づけば清少納言にまでたどり着いている。途中で部長を何度も裸にしながら。ずいぶん遠くまで来てしまった。
考えてみれば、私がこの日記に残しておきたいのも、たぶん同じようなものなのかもしれない。歴史にはならない、この感情。「2026年にパーク24で個人情報漏えいがありました」という情報なら、未来にいくらでも残るだろう。でも、そのニュースを知ったある一人の人間が、その夜、怖がり、少し面白がり、腹を立て、補償を期待し、1000年後の人類のことまで考えていた、ということは、誰かが書かなければ、そのまま消えてしまう。
免許証のことは、やっぱり心配だ。補償金が出るのかどうかも、正直ちょっと気になっている。
1000年後の人類に、この「自分の画像が漏れたら困る」という感覚は分かるのだろうか。

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