社会批判が公共財へ向かわず、自分の商品へ回収されるねじれ

雑栗氏とあきさんの話には、理解できる問題意識もある。

生活のために、望まない仕事を続けなければならない。

周囲の期待に合わせすぎて、自分が本当にしたいことが分からなくなる。

失敗を恐れて、少し違う生き方を試すこともできない。

お金を貯めることばかり考え、使える時間や体力を失ってしまう。

こうした問題は、現実に多くの人が抱えていると思う。

だから、「今の働き方や生き方は、本当にこれでよいのか」と問いかけること自体は、悪くない。

むしろ、自分たちが社会の構造を見抜いた「目覚めた側」だというのなら、その知見を、社会が少しでも良くなる方向へ使ってほしい。

たとえば、望まない仕事を断っても生活できる制度を考える。

過酷な職場から安全に離れられる仕組みを広める。

相談先や公的支援を分かりやすく紹介する。

弱い立場の人へ負担が集中しないよう、労働やケアの分配を考える。

誰でも無料で使える知識や、現実的な相互扶助の方法を提供する。

せっかく九割には見えない社会の問題が見えているなら、そのくらい大きな方向へ導いてくれてもよさそうである。

ところが、動画を見ていると、導き先が妙に小さい。

まず、「あなたが苦しいのは、社会の支配構造に原因があります」と教える。

次に、「そのことに気づいたあなたは、眠った九割とは違う一割です」と位置づける。

しかし、一割として生きるには、同じ価値観を持つ仲間や、自由に生きているモデルケースが必要だという。

そして、その仲間がいる場所として、雑栗氏のサロンや、あきさんのサロン、鑑定、オンクリマルシェが出てくる。

せっかく目覚めたのに、見つけた出口がオンラインサロンだった。

もちろん、サロンや鑑定そのものが悪いとは思わない。

誰にも言えなかった悩みを聞いてもらい、似た人と出会い、少し元気になれるなら、その場所には価値がある。

でも、それは「社会を変える思想」というより、既存社会の中で少し楽に暮らすための私的なサービスである。

その違いは大きい。

しかも、そのサービスが成立するためには、九割社会が作った余暇、可処分所得、通信網、銀行決済、治安、契約秩序が必要になる。

ピラミッド社会が生み出した財やサービスの余剰を使い、ピラミッド社会を批判し、目覚めた個神を自称しながら、ピラミッド社会の通貨と契約で料金を受け取る。

なんそれ。

本当に社会の問題へ目覚めたのなら、その知識は、会費を払える人だけのものではなく、できるだけ公共財にしてほしい。

商品を買えない人にも届く形で、現実の選択肢を示してほしい。

そうでなければ、「目覚め」は社会を良くする責任ではなく、「私は眠っている九割とは違う」と確認するための会員資格になってしまう。

社会への目覚めが、最終的に発信者の商品へしか通じていないなら、それは公共的な覚醒というより、悩みの私的な収益化である。

宇宙規模の問題を発見したのに、解決策は月額制サロン。

その落差が、どうしても気になってしまう。

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