仕事がつらい。
そんな相談に対して、現実的な答えを出すだけなら、それほど難しくない。
雇用条件を確認する。賃金や労働時間を見る。上司や同僚との関係を整理する。今の仕事が自分の能力や性格に合っているか考える。必要なら、転職、異動、休職、医療、労働相談などを検討する。
たぶん、最終的にはそういう話になる。
でも、人間は、正しい対処法を教えられたら、すぐに動ける機械ではない。
理不尽な出来事が重なった人や、誰にも言えないような傷を抱えた人に、「では転職サイトを見ましょう」と言っても、心がそこまで進めないことがある。
まず、自分に起きたことを話したい。
誰かに最後まで聞いてほしい。
「あなたが弱かったからではない」と言ってほしい。
なぜこんなことが起きたのか、たとえ暫定的でも、自分が納得できる物語がほしい。
そう考えると、過去生やアカシックレコードという物語が、まったく何の役にも立たないとは言い切れない。
霊能者に、これまで誰にも話せなかったことを話す。
霊能者が真剣に聞き、「過去生でこういう経験があったため、今も同じことを恐れているのかもしれません」と説明する。
その説明が客観的に正しいかは分からない。
それでも相談者が、「自分がおかしかったわけではない」と少し安心し、眠れるようになり、翌日から現実のことを考えられるようになるなら、その時間には何らかの意味があると思う。
霊的な物語が、現実へ戻るまでの避難所になることはある。
ただし、避難所には出口が必要だ。
鑑定を受けても前へ進めない。
すると、「まだ別のブロックがあります」と言われる。
もう一度鑑定を受ける。それでも変わらなければ、「過去生からの抵抗が強い」「魂の準備が整っていない」と説明される。
そうして再鑑定、ワーク、サロン、オフ会を回り続ける。
最初は仕事がつらいという相談だったはずなのに、いつの間にか、支配者、過去生、カルマ、集合意識の周囲をぐるぐる回り、雇用条件や人間関係の話へ戻れなくなる。
そのとき、避難所はハムスターの回し車に変わっている。
同じ場所を回っているだけなのに、本人には「魂の深い層へ進んでいる」と見えるかもしれない。
だから、霊的な相談が癒やしなのか、依存を作るのかは、過去生が本当にあるかどうかだけでは決まらない。
相談を受けた人が、最後に自分で現実を見て、自分で選べるようになるか。
医療、法律、福祉、労働相談など、別の専門家が必要なときに、きちんとそちらへ送り出すか。
何度も自分のところへ戻すのではなく、「もう私の鑑定は必要ありません」と言えるか。
そこが境目なのだと思う。
松葉杖は、歩けない時期には人を助ける。
でも、歩けるようになった人に、「あなたの魂の足はまだ弱い」と言って、新しい松葉杖を売り続けるなら、支援の意味は変わってしまう。
霊的な物語は、現実へ戻るための橋にもなる。
そして、現実から逃避するだけの回し車にもなる。
大切なのは、その物語が美しいかどうかではなく、最後に人をどこへ連れていくのか、なのだと思う。

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