神社のお守りを見ながら、
「人はご利益ではなく、ご利益「感」を買っているのかもしれない」
と思った。
そして、その考えはなかなか頭から離れなかった。
数日後、スーパーを歩いていた時だった。
ペットボトル飲料の棚を見ていて、
ふと変なことに気付いた。
人間は水が必要だ。
それは間違いない。
でも、棚に並んでいるものの多くは、
単なる水ではない。
爽快感。
健康感。
若さ感。
自然感。
高級感。
そんなものが一緒に売られている。
よく考えると不思議だ。
喉を潤したいだけなら、どの水も大差ない。
でも実際には、
「なんとなく体に良さそう」
とか、
「なんとなく自然っぽい」
とか、
そういう理由で商品は選ばれる。
そこで思った。
もしかすると市場には、
実用品の市場と、
「感の市場」があるのではないか。
例えば米。
米そのものは生存に必要だ。
でもブランド米になると、
美味しさだけではなく、
特別感や満足感が加わる。
服もそうだ。
寒さをしのぐだけなら、
とりあえず着られればいい。
でも実際には、
おしゃれ「感」。
流行「感」。
成功「感」。
所属「感」。
そんなものが一緒に売られている。
さらに考えていくと、
もっと大きな市場が見えてきた。
恋愛感。
性行為感。
成功感。
健康感。
安心感。
守られている感。
生きている感。
私たちは思っていた以上に、
たくさんの「感」を買いながら生きている。
そして市場は、
実用品よりも、
むしろその「感」の方を売っているのではないか。
なぜなら、
実用品としての「米」には限界がある。
人間が食べられる量には上限があるからだ。
水もそう。
最低限の衣食住としての「服」や「住宅」も、もちろんそうだろう。
でも、
もっと若くなりたい。
もっと愛されたい。
もっと安心したい。
もっと成功したい。
こちらには上限がない。
だから市場は、
感と相性がいい。
いや、
もしかすると現代の市場の大部分は、
感市場なのかもしれない。
そんなことを考えていたら、
オオカミの魚も、
神社のお守りも、
推し活も、
少し違って見えてきた。
人は物を買っているようで、
本当は何を買っているのだろう。
もしかすると、
私たちは物の中に入っている「感」を買っているのかもしれない。

コメント