「みんな愛してる」
という言葉を時々見かける。
その言葉自体は素敵だと思う。
そこには感謝もあるのだろうし、嬉しさもあるのだろうし、一緒に過ごしてきた仲間への親しみもあるのだろう。
だから、その気持ちを否定したいわけではない。
むしろ、人を好きになれることは良いことだと思う。
ただ、ある時ふと思った。
この「みんな」って、誰なんだろう。
自分を応援してくれる人。
自分の発信を読んでくれる人。
同じ価値観の人。
同じコミュニティの人。
話が合う人。
優しくしてくれる人。
一緒にいて心地いい人。
そういう人たちを指しているなら、その言葉はよく分かる。
私だって好きな人はいる。
大切な人もいる。
応援したい人もいる。
でも、
それは「みんな」なのだろうか。
それは「愛」なのだろうか。
世の中には、
自分と全く違う価値観の人がいる。
政治的な考え方が違う人。
宗教観が違う人。
ワクチンを打った人。
ワクチンを打たなかった人。
会社勤めが好きな人。
独立したい人。
保守的な人。
革新的な人。
自分が苦手だと思う人。
話が通じないと思う人。
イライラさせられる人。
正直、あまり好きになれない人。
そういう人もいる。
そして本当は、
そういう人の方が圧倒的に多い。
だから私は時々考える。
愛ってどういう意味だったっけ。
好きな人を好きになることは、
案外難しくない。
むしろ自然なことだ。
気が合う人。
尊敬できる人。
優しい人。
そういう人に好意を持つのは普通だと思う。
でも、
本当にその人のことを大切に思うなら、
自分と違う人、違う価値観が存在することも認めなければならない。
「みんな愛してる」
という言葉に違和感があるとしたら、
たぶんそこだ。
愛の反対は憎しみではなく、
存在を認めないことなのかもしれない。
私は、
全員を好きにはなれない。
正直に言えば、
苦手な人もいる。
できれば関わりたくない人もいる。
でも、
だからといって、
その人たちが存在してはいけないとは思わない。
自分と違う価値観の人も、
自分と違う人生を歩いている人も、
この社会を構成する一員である。
それは好き嫌いとは別の話だ。
だから私が目指したいのは、
「みんな愛してる」
ではなく、
「みんな存在していていい」
かもしれない。
好きになれなくてもいい。
理解しきれなくてもいい。
同じ考えにならなくてもいい。
ただ、そこに存在しているという事実だけは、私の好き嫌いより先にある。
私が認めるかどうかとは関係なく、その人も、その考えも、この宇宙の理の中で生じ、いま私の目の前に現れている。
もちろん、「宇宙」が役所のように「存在することを許可する」と、仰々しく判子を押しているわけではない。
ただ、少なくともそれは、この世の法則に反していないからこそ、現象として、今、ここにある。
だから私は、それを好きにならなくてもいい。
賛成しなくてもいい。
でも、「存在してしまっている」という事実そのものを、私の都合でなかったことにはできない。
もしかすると、
それが私にとっての愛の始まりなのかもしれない。
「みんな愛してる」
という言葉を見ながら、
そんなことを考えていた。

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