過去生、カルマ、集合意識、アカシックレコード。
こういう霊的な物語について考えていると、「何が起きても説明できる」という特徴があることに気づく。
ただ、問題は、単に出来事へ後から意味をつけられることだけではない。
望まない結果が出たときに、その失敗まで「さらにセッションが必要である証拠」へ変えられてしまうことである。
たとえば、ある人が、
「どうにか明日は晴れさせてください」
と相談したとする。
すると、霊的な能力を持つ人が、
「あなたの心の中にある不安が、雨の未来を引き寄せています。私のセッションによって未来を書き換え、晴れの波動へ移ることができます」
と答える。
そして、有料のセッションを受ける。
翌日、晴れた。
その場合は、
「セッションによって未来が書き換わりました」
と説明できる。
では、翌日も雨が降ったらどうなるのか。
普通に考えれば、
「晴れさせられると言ったのに、雨が降った。セッションの効果は確認できなかった」
となるはずである。
ところが、霊的な物語では、
「あなたの心の奥に、まだ雨を引き寄せるブロックが残っています」
「一度のセッションでは、魂の深い層まで届かなかったようです」
「もう一度セッションを受け、晴れの波動を定着させましょう」
と説明できる。
晴れたら、セッションが成功した証拠。
雨なら、セッションがまだ必要である証拠。
どちらに転んでも、提供者の能力が否定されることはない。
それどころか、望まない結果が出たときほど、次の商品を勧める理由が強くなる。
これは、単に予測が両張りになっているというだけではない。
失敗を示すはずの出来事が、次の商品の入口になっている。
本来なら、予告した結果が起きなかったことは、その予告や方法が間違っていた可能性を示すはずである。
しかし、この仕組みでは、
「雨が降った。だから、この方法は効かなかった」
とはならない。
「雨が降った。だから、あなたにはもっとこの方法が必要だ」
となる。
しかも、晴れなかった責任は、「未来を書き換えられる」と言った提供者ではなく、相談者の内面へ戻される。
あなたの疑いが強かった。
まだ執着を手放せていなかった。
魂の準備が整っていなかった。
相談者は、結果が出なかったことに困っているだけでなく、「自分の波動が低かったから失敗した」という新しい罪悪感まで背負うことになる。
そして、その罪悪感を解消するために、また同じ提供者のもとへ戻る。
晴れるまでセッションを受け続け、たまたま晴れた日に、
「ようやく未来が書き換わりました」
と言われる。
しかし、天気はセッションを受けなくても、いつか変わる。
これでは天気を変える商売というより、どんな天気でも次の予約につなげられる商売である。
人が苦しい出来事に意味を見いだし、気持ちを整理することには価値があると思う。
「この経験にも意味があった」と考えることで、再び歩き出せる人もいる。
でも、起きた出来事に意味を与えることと、自分には未来を変える能力があると主張し、その対価を受け取ることは別である。
どんな結果も説明できる理論は、強い理論ではない
失敗を失敗として認める出口が、最初から塞がれているだけなのである。

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