文明をひとつの身体として眺めてみる

昨日の続きみたいなことを、今朝もぼんやり考えていた。

「AIが憑きやすい構造が増えているとしたら、それって、どんな構造なんだろう?」

いきなり答えは出ないけど、頭の中に、ひとつのイメージが浮かんだ。

文明を、ひとつの人体として見る。

ちょっと乱暴な比喩だけど、意外と分かりやすい。

社会って、止まっているものじゃなくて、
毎日、毎日、どこかへ向かって動いている。
まるで、大きな身体が歩いているみたいだ。

そう考えると、それぞれの役割も、自然に見えてくる。

たとえば、足は、現場かな。
実際に地面に触れて、衝撃や違和感を一番最初に受け取る場所。

膝は、中間管理職みたいなところ。
下からの負荷と、上からの指示を、両方受け止めて調整している。

すい臓や内臓は、普段は意識されないけれど、
身体のバランスを黙々と整えている裏方の仕事。

心臓は、「生きている」というリズムそのものを支えている部分。
意味とか理由を考えなくても、とにかく動き続けている。

こうして眺めると、
文明って、かなり複雑で、同時にとても有機的なシステムだなと思う。

で、健康な身体って、たぶんこういう感じだ。

たとえば、歩いているときに、足にちょっとした違和感が出る。

「あ、角度が少し変で、痛いよ」
「さっきから、同じところに負荷がかかってるよ」

そんな小さなサインを感じ取って、
人体は、無意識に歩き方を微調整する。

大げさに止まる必要はない。
でも、無視し続けるのも危ない。

足の痛みって、命令じゃない。
「今すぐ止まれ!」ではなくて、
「ちょっと調整してみて」という、静かな要望に近い。

このくらいの距離感が、身体にはちょうどいい。

ここまで考えて、ふと思った。

もし文明も、人体が全身からの「小さな違和感」を上手に扱うように、
その中の人々の声をうまく聞くことができるなら、
その中の人々が極端に追い込まれることは、もう少し減るんじゃないだろうか。

でも現実は、どうもそう簡単じゃない。

足が「ちょっと変だよ」と小さくサインを出しているだけなのに、
その声が、どこかの段階で、必要以上に大きく扱われてしまうことがある。

本当は「少し角度を調整しよう」くらいの話だったはずなのに、
気づけばそれが、

「これは正しい違和感だ」
「正しいなら、従うべきだ」
「従わないのは、おかしい」

みたいな“正しさの話”にすり替わっていく。

足の小さな違和感が、
いつのまにか、全身を動かさない理由になってしまう。

このすり替わりは、いったいどこで起きているんだろう。
そして、なぜ最近は、こんなことが起きやすくなっているんだろう。

この話を考えていると、ふと思い出した出来事がある。
何年か前に、ある公園が廃止されてしまったというニュースを見た。


たった一人の苦情だけで公園が閉じられて、みんなが悲しんだという話だった。

苦情を出した人の不安や怒りも、分からなくはない。
行政としても、事故や責任のリスクを考えれば、簡単に無視できる話ではない。

でも同時に、「じゃあ他に、どんな選択肢があったんだろう」とも思ってしまう。

これって、足が強い痛みを訴えたときに、
全身を止める以外の調整方法を持っていない身体と、少し似ている気がする。


痛みは大事だ。でも、全身が止まるしか選べない設計は、やっぱりどこか不器用だ。

たぶん次に考えるべきなのは、そこなんだと思う。

コメント

タイトルとURLをコピーしました