雨ニモマケズ① 初めてちゃんと読んでみた

先週の金曜日から二泊三日で、岩手を回ってきた。一関、平泉、花巻、盛岡。花巻では宮沢賢治記念館に寄って、お土産屋さんにずらりと並んだ賢治グッズを眺めているうちに、そういえば私は、この人のことをよく知らないなと思った。

それまでの賢治のイメージは、かなり断片的だった。童話作家で、『銀河鉄道の夜』と『注文の多い料理店』を書いた人で、山猫が出てきて、あとは「雨ニモマケズ」の人。そのくらいだ。「雨ニモマケズ」に至っては、有名すぎて冒頭のあたりを知っているだけで、全文をちゃんと読んだことが一度もなかった。それで旅行から帰って、改めて読んでみた。

冒頭はとても分かりやすい。雨にも風にも、雪にも夏の暑さにも負けない丈夫な体を持ち、欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ、あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きして分かり、そして忘れない。そこから先は、東に病気の子どもがいれば行って看病し、西に疲れた母がいれば行って稲の束を背負い、南に死にそうな人がいれば行って怖がらなくていいと言い、北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言う。

最初に浮かんだのは、賢治が考えた「理想の人間」のスペック表、という感想だった。丈夫で、無欲で、穏やかで、物知りで、人のために動ける。少しふざけて言えば、人格のステータスを全部盛りにした「最強のぼく」である。

ところが、その先が妙なのだ。

ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ

それまでは、困っている人に対して、ちゃんと具体的に何かをしていた。病気の子は看病し、疲れた母の稲は背負い、死を怖がる人には声をかけ、争いは止める。それなのに、日照りになると泣き、寒い夏にはオロオロ歩く。それ、理想なの? と思った。

一度は、こういう読み方も考えた。丈夫で優しくて立派だけれど、泣いたりオロオロしたりする弱さもある。そういう自分を丸ごと受け入れたい、という詩なのではないか。ちょっと茶化せば、「強さも弱さも全部ひっくるめた俺になりたい!」という、中二病的な自己肯定だ。

それでも、「日照りのときに泣く人になりたい」という言い方には、やっぱり引っかかりが残った。なぜ、日照りで泣くのだろう。

そこで、活字ではなく、賢治が実際に書いた手帳の写真を見てみることにした。「雨ニモマケズ」は、もともと作品として発表されたものではなく、賢治の死後、遺品のトランクから見つかった手帳に書かれていたものだ。ページの上には「11.3.」と書き込まれていて、昭和6年の11月3日、東京で倒れて花巻に戻り、病床にいた賢治が書きつけたものとされている。

宮沢賢治「雨ニモマケズ」直筆手帳(冒頭)
出典:森荘己池『宮沢賢治』(小学館、1943年)/国立国会図書館デジタルコレクション(PID 1169360)。Wikimedia Commons掲載・Public Domain.

写真を見てまず驚いたのは、活字版のように一行ずつきれいに並んでいるわけではないことだった。字下げがあり、折り返しがあり、書き足しや書き直しもあって、当然ページの切れ目もある。活字版の「一行」が、そのまま賢治にとっての意味の一行だとは限らない。長い文が小さな手帳の幅で折り返されて、続きが字下げされているところもある。

原文には句読点がないけれど、文の切れ目を探しながら読むと、「イツモシヅカニワラッテヰル」で一度切れて、「ソシテワスレズ」でもう一度切れるように見える。そうすると、最初のまとまりが体と人柄、次が暮らしとものの見方、そして「野原ノ松ノ林ノ蔭ノ」から先が、実際の世の中でどう生きるか、という三つのブロックが見えてくる。

そして、例の箇所だ。手帳には「ヒデリ」ではなく、「ヒドリノトキハ」と書いてあった。

これは一般に「ヒデリ(日照り)」の書き誤りとされていて、活字版の多くは「ヒデリ」に直してある。賢治には、ほかの詩の原稿で「ひでり」を書こうとして「ひどり」の方向へ書き滑り、あとから「ひでり」に直した例があるそうだ。同じ手帳の「土偶坊」のメモにも「第五景ヒデリ」とあるらしい。だから、ヒデリの書き誤りだという説明には、ちゃんと根拠がある。ほかには日雇い仕事を意味する「日取り」のことだ、という説もあるらしい。

ただ、だからこそ気になる。ヒデリにこれだけ強い根拠があるのなら、なぜ「雨ニモマケズ」では直されていないのだろう。同じ手帳のほかの場所には書き足しや書き直しがあるのに、ここはそのままだ。だとすると、必ずヒデリの書き誤りだ、とまで言い切っていいのだろうか。

もう一つ気になったのが、ページの切れ目だった。私が見た写真では、「北ニケンクヮヤ/ソショウガ/アレバ/ツマラナイカラ/ヤメロトイヒ」と続いて、「ヒドリノトキハ/ナミダヲナガシ」で、そのページが終わっている。「サムサノナツハ/オロオロアルキ/ミンナニ/デクノボート/ヨバレ」は、見開きの隣のページに書かれている。

少なくとも、私が見た写真では、「ヒドリ」と「サムサノナツ」は同じページに並んでいない。むしろ「ヒドリノトキハ/ナミダヲナガシ」でページが閉じている。その配置が、妙に気になった。賢治がページ割りまで考えて書いたとは限らないので、これは証拠というより、ただの違和感だ。

ここで、ふと思った。これ、「ヒトリ」なんじゃないか。

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