SNSを見ていたら、三峯神社のオオカミの眷属について書いている人の投稿が流れてきた。
その人によると、オオカミさんは魚が好きらしい。
しかも、オオカミ同士で情報交換をしていて、
「あの人のところは魚を出してもらえて羨ましい」
みたいな会話もしているらしい。
オオカミが魚を食べる。
オオカミが酒を飲む。
オオカミ同士で噂話をする。
なんだか、昔の民話みたいで面白い。
でも読み進めていくうちに、不思議な感覚になった。
この方は、別にお金を騙し取ろうとしている感じでもない。
何かの教団に勧誘しているわけでもない。
本当に、近所の犬の話でもするように、
「うちのオオカミさんはアボカドが好きなんですよ」
という調子で話している。
それが妙に生々しかった。
だから私は途中から、
「オオカミがいるのかどうか」
よりも、
「なぜ人はこういう物語を必要とするのだろう」
という方が気になり始めた。
魚を供える。
お酒を供える。
喜んでもらえる。
守ってもらえる。
感謝される。
その構造を眺めていたら、ふと別のものを思い出した。
推し活だ。
アイドルを応援する。
グッズを買う。
ライブに行く。
喜んでもらえた気がする。
応援している実感がある。
もちろん、オオカミとアイドルは全然違う。
でも、どちらも「誰かのために何かをしている感覚」を与えてくれる。
そう考えると、少し似ている気もする。
さらに考えていたら、
子供の頃のおままごとまで思い出した。
ママ役。
パパ役。
お買い物。
料理。
本物ではないけれど、本物の世界の縮小模型。
私たちは大人になっても、形を変えながら似たようなことを続けているのかもしれない。
オオカミに魚を供えること。
アイドルを応援すること。
ゲームのキャラクターを育てること。
その違いはどこにあるのだろう。
そして、そもそも違いは本当にあるのだろうか。
そんなことを考えながら、その日の夜はスマホを閉じた。

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