「お金で買える」ってどういうことだろう

資産形成の記事を読んでいたら、いつのまにか「お金ってどこにあるんだろう」なんてことを考えていた。

通帳には数字がある。口座にも数字がある。たしかに私は同世代の平均くらいの資産を持っていることになっている。

でも、ふと思う。

そのお金は本当にどこにあるのだろう。

労働者を一人、何千時間も自分のために働かせることができる金額。そう考えると、急に少し怖くなる。そんな権利を、自分が持っているとはどういうことなのか。

宇宙銀行があって、その「何千時間」が保管されているわけでもない。

結局、お金とは、社会が安定している限り有効な約束手形なのだと思う。

銀行があり、法律があり、電気があり、通信があり、物流があり、誰かが働いてくれている。そういう無数の支えがあるから、数字は価値として通用する。

お金があるから社会が従うのではない。

社会が機能しているから、お金で買える。

ここを忘れると、お金は少し嫌なものになる。

「金を払っているんだからいいだろう」という態度は、たぶん順番を間違えている。お金は世界を従わせる杖ではなく、すでに動いている世界にアクセスするための鍵なのだ。

だからいわゆる「いい金持ち」と「わるい金持ち」の違いも、そこにある気がする。

いい金持ちは、自分のお金が社会に支えられていることを知っている。わるい金持ちは、お金だけで社会を動かせると思っている。

そこに思い至ったとき、陳腐だった「感謝」という言葉が、少し違って見えてきた。

感謝とは、単に自分に都合がいいものに対して「ありがとう」と言うことではなく、

自分の快適さや資産や自由が、どれほど大きな成立条件の上に乗っているのかを知ることなのかもしれない。

因果関係を、少し広く見ること。

時間軸を、少し長く見ること。

自分一人の力ではないと、ちゃんと納得すること。

資産形成の話をしていたはずなのに、最後は感謝の話になった。

でも、たぶんそれでよかったのだと思う。

お金を増やす前に、お金がどこから来て、何に支えられているのかを見ておくこと。

それができないまま増えたお金は、どこかで人を少し乱暴にする気がする。

コメント

タイトルとURLをコピーしました