ミニマリスト雑考

SNSで見かけたある投稿が印象に残った。

私はこれまで、ミニマリストというと、

「物を持たない暮らし」

というイメージを持っていた。

でも、本当に憧れているのは「物が少ないこと」なのだろうか。

そうではない気がしてきた。


例えば、

洗濯機を持たない人がいる。

でも、その人は

「近くにコインランドリーがあるから大丈夫。」

と思っている。

冷蔵庫が壊れても、

「必要になったら買えばいい。」

と思っている。

家具が必要になればAmazon。

車はカーシェア。

本は電子書籍。

ホテルがあるから来客用布団も要らない。

つまり、

物を持っていないのではなく、社会全体を自分の倉庫として利用しているとも言える。


ここで気づいた。

ミニマリストが持っているのは、

物ではなく、

「必要な時にいつでも利用できる」という安心感

なのだ。


でも、その安心感は、

誰が支えているのだろう。

Amazonの巨大倉庫。

物流。

工場。

コンビニ。

下水道。

電気。

水道。

病院。

自治体。

今日も誰かが働いているから、

私は

「持たなくても困らない」

と言える。


そう考えると、

本当に胸を張るべきなのは

「私は物を持っていません。」

ではなく、

「これほど持たなくても生活できるほど、社会が成熟している。」

という事実なのかもしれない。


このことを考えていて、

少し前に読んだ「お金のない世界」を思い出した。

「税金はいらない。」

「国家はいらない。」

と言いながら、

道路や下水道や医療など、

現実のインフラには依存している。

一部のミニマリズムも、

少し似た構造があるように思えた。

「大量消費社会なんて。」

と言いながら、

その大量消費社会が作った巨大物流を、

自分の外部ストレージとして使っている。

問題なのは、

どちらも、

自分の快適さを支える外部システムを背景化してしまうことなのではないだろうか。


もちろん、

ミニマリズムそのものを否定したいわけではない。

むしろ私は、

近藤麻理恵さんの

「好きなものだけを大切にする。」

という考え方には、とても共感する。

それは、

「物を減らすこと」が目的ではなく、

「本当に大切なものを選ぶこと」が目的だからだ。


一方で、

「物が少ないこと」自体が価値になってしまうと、

少し違和感がある。

本来は、

自分にとって最適な数だけ持つ。

その結果として、

少なくなる人もいれば、

趣味や仕事によって多くなる人もいる。

園芸が好きなら鉢が増える。

料理が好きなら包丁が増える。

それは決して悪いことではない。


さらに考えてみると、

ミニマリズムがここまで流行る背景には、

現代日本の豊かさだけでなく、

逆に若い世代の購買力低下もあるのかもしれない。

本当は欲しい。

でも高くて買えない。

だから、

「要らない。」

「持たない方が自由。」

という価値観へ自然とシフトしている人もいるかもしれない。

もしそうだとしたら、

それは少し切ない。

イソップ童話の「酸っぱい葡萄」のように、

手が届かないものを、「最初から欲しくなかった」と思うことで、自分の心を守っているのかもしれない。


そして、最後に思った。

ミニマリズムは、

平和で、

物流が止まらず、

店に商品が並び、

「必要になったら買える」

という信頼がある社会だから成立する。

もし戦争や災害で、

「次はいつ買えるか分からない。」

となれば、

今ミニマリストを名乗る人も、

お気に入りの日用品や食料を買い置きするだろう。

つまり、

「持たない自由」は、社会の安定への信頼の上に成り立つライフスタイルなのだ。

だから私は、

「物を持たない私」に憧れるのではなく、

「これほど持たなくても安心して暮らせる社会を、今日も誰かが支えてくれている。」

そのことに目を向けられる人でありたいと思う。

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