野菜の値段が高いのは、誰のせいなのか

最近、あるポストを見かけた。

「野菜が高いと文句を言う消費者はアホだ」
「中間業者が抜いている」
「闇は深い」
「このシステムを変えるのが目標だ」

言っていること自体は、分かる部分もある。

農家がしんどいのはそのとおりだろうし、
価格決定権が弱いのも事実だし、
システムに歪みがあるのも、たぶんそうなんだと思う。

でも、なんだか引っかかった。

たぶん、「誰かを悪に置く構図」が、少し雑に感じたんだと思う。


冷静に考えると、

スーパーがあるからこそ、
ひとつの都市で何十万~何百万人もが集まって暮らせる。

物流があるから、
遠くの野菜が当たり前に届く。

規格があるから、
同じような品質で並ぶ。

その一つひとつの野菜の値段の中には、
作る(農家)
集める(市場・JA)
選ぶ(規格・品質管理)
運ぶ(物流)
並べる、売る(スーパー)
という、いくつもの仕事が重なっている。

つまり、野菜の値段には、野菜そのものだけではなく、
消費者はもちろん、売る側にとっても、
「面倒ごとを自分だけで抱え込まずに済むための仕組み」のコストが含まれている。


農家さんが言っているように、
もし本当に価格決定権が強くなって、
農業が儲かる職業になったらどうなるか。

たぶん、資本が入ってくる。

大地主や法人が参入して、
効率化が進んで、
小規模な農家は逆に押し出されるかもしれない。

儲からないから守られている部分もあって、
儲かるようになると、別の競争が始まる。

なんだか、皮肉だなと思う。


ただ、だからといって、

「何も言うな」とか
「受け入れろ」という話でもないと思う。

苦しいことは苦しいし、
直すべきことは直した方がいい。

でも、

システムの問題を考えることと、日々の生活を味わうことは、どちらか一方ではなくていい。

社会が良くなったら幸せになる、ではなく、
幸せに生きながら、社会も少しずつ良くしていく。

社会を良くしようとすることと、今日の暮らしをちゃんと味わうことは、両立していいのだと思う。


社会の構造は直す。

でも、それとは別に、

今日もご飯を食べて、
今日も何かを作って、
今日も少し楽しいことをして、

置かれた場所で、ちゃんと咲く。


システムを悪と決めつけすぎると、いつの間にか、そのことに人生を奪われてしまう。

訴えることと、
咲くことは、
両立していいんだと思う。

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