雨ニモマケズ③ サウイフモノニ、ワタシハナリタイ

「ヒドリ」を「ヒトリ」と読んでみたら、スペック表のようだった詩の中に、一人の人間の一日が見えてきた。前回まではそういう話だった。今回は、その人がなりたがっているものの方を考えてみたい。

まず、デクノボーという言葉。デクノボーそのものは仏教の用語ではないけれど、賢治が深く信じていた法華経に出てくる常不軽菩薩と結びつけて、よく論じられている。常不軽菩薩は、出会う人すべてを拝んで回るのに、周りからは変わり者として笑われ、石を投げられたりもする。同じ手帳には、デクノボーを主人公にした劇の構想メモ「土偶坊」もあって、そこでも主人公が石を投げつけられる場面が考えられていたらしい。本人の中では意味のあることをしているのに、外から見ると役立たずや変人に見える。オロオロ歩いてデクノボーと呼ばれる姿と、よく響き合う。

詩の終わりの「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」は、手帳では行の頭がぐっと下げて書かれている。長い行の続きを字下げするのは、この手帳によくある書き方だけれど、ここは文の頭の「サウイフ」や「ワタシハ」まで下がっていて、ただの折り返しには見えない。理由は分からないけれど、私には、隣のページへ向かってつながっていく印のように見えた。その見開きの左のページには、こう書かれている。

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

私は手帳の写真で、このページを見た。真ん中の「南無妙法蓮華経」だけが、ほかの行よりひときわ大きく、太い線で書かれている。見ているうちに、祈るような、すがるような、死の恐怖から逃れたいような気持ちが、文字の側からじかに伝わってくる気がした。あとで年譜を見ると、この手帳を書く一か月半ほど前、賢治は石灰の宣伝で上京した先で熱を出して倒れ、家族に宛てて遺書まで書いている。

体が丈夫で、頭もよくて、性格もいい自分になりたいと願いながら、一人の部屋では泣き、すがるようにお題目を書く。ああ、この人も一人の人間なんだな、と思った。作品としての「雨ニモマケズ」は、ふつう「ワタシハナリタイ」で終わる。作品としては、そこで終わる。でも、手帳はそこで終わっていなかった。

言葉の選び方にも、少し気になるところがある。この詩は「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」と、「ズ」をつないで進んでいく。その連なりは「ホメラレモセズ/クニモサレズ」まで続いていて、最後は「苦にもされない。」と閉じることもできたはずなのに、「ズ」のまま「サウイフモノニ」へ流れていく。もし閉じていたら、並べてきたものは丈夫な体、無欲、微笑み、という具体的な目標のリストになって、「こういうものに」がよく合っただろう。それはヒデリで読んだ詩ともよく合う。でも「ズ」で止まったまま「そういうもの」と受けると、挙げてきたものは例のひとつで、まだ続きがありそうな余韻が残る。「まあ、そんな感じのものに、なれたらいいんだけど」と言っているように、私には聞こえた。泣いたりオロオロしたりデクノボーと呼ばれたりする姿まで含めて「そういうもの」と言っているのなら、それは達成すべき目標というより、ひとりの人間の姿をまるごと指しているのかもしれない。これは根拠のある読みではなく、私の耳の話だ。

そう思えたのは、「ヒトリ」と読んだからだと思う。「ヒデリ」で読むと、この詩は、丈夫で、質素で、優しくて、人のために動ける理想の人間になりたい、という自己完成の詩として読める。「ヒトリ」で読むと、人前では笑い、一人では泣き、どうにもならないときはオロオロして、デクノボー扱いされる、それでもその方向を向いて生きていたい、という詩になる。そうなると、隣のお題目は、自分の力で理想の人間になれるという宣言ではなく、弱く揺れる自分を、それでも理想の方へ向けておくための祈りのように見えてくる。なぜ隣に「南無」が並んでいなければならなかったのか、その理由まで分かる気がした。

ちなみに「ヒデリ」という直し方は、最近になって生まれたものではない。手帳が見つかって最初に活字になったとき(1934年9月21日の『岩手日報』とされる)から「ヒデリノトキハ」とされていて、1936年に花巻に建てられた詩碑にも「ヒデリ」と刻まれている。その後この詩は、戦争の時代にも戦後にも、それぞれの時代に都合のいい形で読まれてきたのだろう。終戦直後の1947年に国の教科書に載ったときには、占領下の係官に、食糧事情からすると「玄米四合」は贅沢だと言われて、「三合」に書き換えられてもいる。

それに比べると、「ヒトリ」で読んだ詩は、どの時代の道徳にも回収しにくい。外では社会から見て望ましいことをしている人が、内側では泣いている。外で立派に振る舞っていても、心の中まで社会の目的と同じだとは限らない。一人になって何に泣いているのかは、本文には書かれていない。戦争が嫌なのかもしれないし、自分の人生を生きたいのかもしれない。ただ疲れているのかもしれないし、死ぬのが怖いのかもしれない。理想どおりになれない自分が悲しいのかもしれない。その、誰にも徴用されない私的な悲しみが残るところに、一人と読むことの深さがあると思う。

とはいえ、ヒデリかヒトリかを、ここで決めるつもりはない。ヒデリ説には、しっかりした根拠がある。ほかの原稿での書き癖もあるし、調べてみると、同じ手帳の「土偶坊」のメモには「第五景ヒデリ」と書かれているという。手帳の中にも、ヒデリの手がかりはあるのだ。一方で、「雨ニモマケズ」の手帳の上では「ヒドリ」は直されないまま残っていて、「ヒトリ」と読むと、いつも笑う人と一人で泣く人、勘定に入れない自分と一人のときにだけ出てくる感情、四方の他者と一人、ヒトリとミンナ、ページの切れ目、オロオロからデクノボーへの流れが、一度にすっと通る。ヒデリ説には外からの強い証拠があり、ヒトリ説には作品の内側の強い構造がある。今の私には、そのくらいに置いておくのがちょうどいい。

正解はヒトリだ、と言いたいわけではない。ただ、一人と読んだとき、この詩は私にとって、比べものにならないほど深くなった。丈夫で無欲で、優しくて何でもできる聖人ではない。人前では静かに笑い、人が困っていれば動き、一人になれば泣く。どうにもならないことにはオロオロして、他人からはデクノボーに見え、褒められもしない。それでも、そういうものに私はなりたい、と願う。その隣には、南無妙法蓮華経と書いてある。

この賢治なら、好きだと思った。

調べているうちに、南信廣さんの『ヒドリノトキハナミダヲナガシ―宮澤賢治試論』という本が、今年出ていることを知った。南さんも「ヒドリ」を「一人」として正面から論じているらしい。ただ、この日記は、その本を読む前に書いておくことにした。自分が手帳の写真を眺めながらどこまで考えたのかを、まず残しておきたかった。ここまでは自分で読んだ。さて、同じ「一人」を論じた人は、あの手帳の何を見ていたのだろう。これから南さんの本を読んで、自分の読みとどこが同じで、どこが違うのかを確かめてみたい。

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