【追記・訂正 2026年9月24日20時00分】
本記事中、堀大輔さんが村上印のアサイーを初めて食べた際の描写について、配信アーカイブと当時のライブチャットを再確認したところ、私の記憶違いと時系列の捉え違いが一部ありました。
実際には、実食前から「まずい」などのコメントがあり、実食後には別の反応群が確認できました。また、堀さん自身も途中で「おいし…」とつぶやく場面があり、最終的にはステビア等を加えて完食しています。
このため、初回実食場面に関する記述は訂正します。詳細な検証内容と訂正版については、以下の記事にまとめました。
(以下、元記事です)
堀大輔さんは、ライブを見ているとよく「感謝」について話している。人に感謝すること、今あるものに感謝すること、つまらない批判ばかりしていないでもっと前向きに生きること。その考え方自体に異論はないし、むしろ良いことだと思う。人から何かをしてもらったら感謝する、自分一人で生きているわけではないことを忘れないというのは、人間関係の基本だからだ。
だからこそ、私は「村上印のアサイー事件」が妙に引っかかっている。村上印オーガニックという会社から堀さんに、無添加で製法や品質にこだわって作られたアサイーがご厚意で贈られたそうだ。少なくとも、堀さんが自分でお金を出して買って「期待した品質ではなかった」とレビューしている商品ではない。
ところが、最初に食べたときの堀さんのリアクションは、私の記憶では「オウフ・・・」と唸り、「アサイーってこんなに苦かったでしたっけ?」と評するものだった。まあ、ここまではいい。人の口に合う合わないはあるし、いただき物だからといって嘘をついて絶賛しろとまでは私も思わない。
私が本当に引っかかったのは、その後のことだ。別の日のライブで、堀さんが自分の食べているもの(オートミール、ブルーベリー、EAA、水など、そしてアサイー)のレシピを紹介していた際、「なくなるまでは、アサイーも入れてます」という趣旨のことを言ったのだ。
……それ、わざわざ言わなくてもよくないだろうか。「村上印さんからいただいたアサイーも入ってます」と言うだけでいいし、言葉の手間だってほとんど変わらない。
なのに「なくなるまでは入れてます」と言われると、どうしても「今あるから仕方なく消費している」「もらった分がなくなったらもう入れない」「自分で買ってまで使うものではない」というニュアンスが出てしまう。
もちろん、本人に悪意はなく、単に「家にあるから使っている」という事実を説明しただけなのかもしれない。でも、こういうところにこそ「感謝」って出るんじゃないのかな、と私は思ってしまう。感謝って、「もっと感謝して生きましょう」と人に説くときだけ使う言葉ではないはずだ。誰かが自分のために贈ってくれた品物について、その人が見ているかもしれない場所で話すとき、「あ、そういえばこれ、村上印さんからいただいたものだったな」と一瞬でも相手の顔を思い浮かべられるかどうか。私は、そういう小さなところの方がずっと大事だと思う。
別にアサイーを絶賛しなくても、リピート購入しなくてもいい。「自分の好みには合いませんでした」でもいいのだ。ただ、いただき物をまるで在庫処分しているかのように聞こえる表現を、公開のライブで言う必要はなかったのではないか。私は村上印の商品を見たことも、アサイーを買ったことすらまだないのに、なぜか村上印さんにものすごく感情移入して、「いや、そんな義務感で食べてもらうために送ったんじゃないよ……」と言いたくなってしまう。他人に感謝が足りないと説くその言葉が立派であればあるほど、感謝というのは大きな思想として語るより、こういう何でもない一言に表れるものなんじゃないかと感じて、私はどうしてもこういう違和感が好きになれないのだ。

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