「目覚める」とは、自分が特別な一割だと知ることではないのかもしれない。

雑栗氏と「絶対に覚醒させるマン あきさん」の動画を見ていた。

二人によると、世の中の九割は支配者に誘導されていて、自分の頭で考えられず、周囲に合わせて生きているらしい。

そして残りの一割は、支配の仕組みに気づき、自分の知恵と自信を取り戻し、新しい文化を作っていくのだという。

なるほど。

動画を見ている私も、もしかしたら「目覚めた一割」に入れてもらえるのかもしれない。

なんだか、うれしい。

しかし、少し考えているうちに、別のものが見えてきた。

私が冷房の効いた部屋で、パソコンを使い、YouTube動画を見ながら、支配社会について考えられるのはなぜだろう。

電気を作る人がいる。発電所や送電線を点検する人がいる。通信網を維持する人がいる。動画を保存するサーバーを管理する人がいる。

マンションを建てた人がいて、壊れないように管理する人がいる。水道を動かす人がいて、ゴミを回収する人がいる。

そして、私が夜道を歩いても、普通は突然殴られたり、お金を奪われたりしない。

それは人間が本来みんな善良だから、というだけではない。

法律があり、警察があり、裁判所があり、多くの人が自分の欲望や衝動を抑え、社会の規則に従っているからだ。

考えてみれば、私の自由は、無数の人の「従順さ」に支えられている。

もちろん、権力に何も考えず服従することと、他人と協働するために共通ルールを守ることは違う。

でも雑栗氏たちの話では、その両方が「支配に弱い九割」として、少し雑にまとめられているように見える。

本当に見えなくなっているのは、秘密の支配者なのだろうか。

むしろ、水道、電気、道路、物流、医療、司法といった日常を、毎日黙って維持している人たちのほうではないか。

そう思った。

「目覚める」とは、自分が特別な一割だと知ることではないのかもしれない。

自分もまた、一人では何もできず、顔も名前も知らない大勢の人の労働と規律と自制によって生かされている。

そのことに気づくことなのではないか。

隠れた支配者を発見するより、自分の日常を黙って支えている人たちを発見する。

こちらの目覚めには、宇宙の秘密を知ったような高揚感はない。

むしろ、自分は世界の中心ではなかったと分かるので、少し格好悪い。

でも、そのぶんだけ、道路工事を見て「また税金の無駄か」とすぐに怒らずに済むかもしれない。

蛇口から水が出たとき、その向こう側にいる人のことを、ほんの少し想像できるかもしれない。

本当の目覚めとは、隠れた支配者を発見することではなく、自分の自由を成立させている見えない支えを再発見することである。

少なくとも、アカシックレコードを見るよりは、こちらのほうが、今すぐ見ようと思えば見られる世界なのだと思う。

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