以前、池袋のジュンク堂を歩いていたとき、蛍光色の表紙に大きく、
DIE WITH ZERO
と書かれた本が平積みされていた。
英語だから少し格好よく見えるけれど、日本語にすると、
死ね、ゼロで。
である。
経済や投資の本が並ぶ棚に、突然、「死」という、宗教や哲学やスピリチュアルの棚にありそうな言葉が置かれている。
かなり目立った。
私はその本を手に取らなかった。
けれど、タイトルだけは妙に記憶に残った。
当時の私は、勝手にこんな本だと思っていた。
人は死ねば、肉体を失う。
肉体から立ち上がっていた意識も消える。
お金も、財産も、肩書も、墓場には持っていけない。
けれど、消えるのは財産だけではない。
集めた知識も、積み重ねた経験も、人間関係も、「私はこういう人間だった」という自己像も、本人の意識から見れば、すべてゼロへ帰っていく。
ならば、何もかも完全に手に入れようとしなくてよい。
すべての夢を実現しなくてよい。
使い切れなかったお金があってもよい。
取り返せなかった失敗や、言えなかった言葉が残ってもよい。
多く持つ人は、その余剰を手放せばよい。
反対に、自分の人生は失敗だった、借金しか残らなかった、何も成し遂げられなかったと、大きなマイナスを抱えている人も、それを永遠に背負わなくてよい。
死は、プラスをゼロにするだけではない。
マイナスもまた、ゼロへ戻してくれる。
だから、生きているあいだくらい、自分の人生を採点し続けなくてよい。
そんな、メメント・モリの本だと思っていた。
色即是空。空即是色。
すべては一時的に形を取り、やがて手放される。
そのゼロを隣に置きながら、今日を生きよう。
そういう話なのだろう、と。
ところが最近、パートナーに勧められた紹介動画を見て、内容を知った。
どうやら、だいぶ違った。
本書の「ゼロ」は、万物が帰っていく空ではなく、死亡時の資産残高だった。
お金をただ残すのではなく、若いうちの経験、健康、思い出、生前贈与などへ効率よく変換する。
年齢、資産、健康状態、想定寿命、運用利回りを考え、死ぬ日までの時間軸に沿って、人生全体の支出ポートフォリオを組む。
私が想像したのは、
どうせすべてゼロになるのだから、執着を手放そう。
という本だった。
実際は、
どうせ最後はゼロになるのだから、それまでに効用を一滴も取りこぼさないよう、計画的に回収しよう。
という本だった。
般若心経だと思ったら、Excelだった。
私が想像したゼロは、人生の最適化から降りるためのゼロだった。
本書のゼロは、人生の最適化を最後まで完成させるためのゼロだった。
前者では、死は人を採点から解放する。
後者では、死が資産運用の締切日になる。
ずいぶん正反対である。
もちろん、「老後に備えるばかりで、今しかできないことを逃さないようにしよう」という教えには意味がある。
親が元気なうちに会う。
身体が動くうちに旅をする。
好きだと言えるうちに伝える。
そのようなメメント・モリとして読めば、多くの人によい影響を与えるのだと思う。
けれど、人生を完全に使い切ろうとすると、今度は別の執着が始まる。
この旅行は、十分な思い出を生んだだろうか。
若いうちに、もっと経験へ投資すべきではなかったか。
死ぬときにお金が残ったら、その分だけ人生を無駄にしたことになるのではないか。
貯蓄への強迫から解放される代わりに、思い出へ換算する強迫が生まれる。
本当の「DIE WITH ZERO」は、むしろこう言うのではないだろうか。
見られなかった景色があってよい。
使い切れなかったお金があってよい。
完成しなかった人生でよい。財産も、経験も、成功も、後悔も、最後には同じゼロへ帰る。
だから今日を大切にしながら、今日を完璧にしようとは思わなくてよい。
蛍光色の表紙から私が勝手に想像した本は、実物とは違っていた。
けれど私は、今でも少しだけ、そちらの『DIE WITH ZERO』を読んでみたいと思っている。

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