最近、人間の身体と社会って、少し似ているなと思うことがある。人間の身体には何十兆という細胞があり、肝臓の細胞は肝臓の仕事を、心筋細胞は心臓を動かし、免疫細胞は身体を守っている。細胞の一つ一つには当然ながら「自分の財産」も「人権」もなく、基本的には身体全体を維持するために、それぞれが決められた役割を果たしている。だから、普通の細胞が突然「俺は他の細胞よりもっと栄養が欲しい」「俺だけ際限なく増えたい」「身体全体がどうなろうが、俺の増殖数さえ増えれば成功だ」と動き始めたら、それを身体全体の視点から「優秀な細胞」とは呼ばない。がん細胞と呼ぶ。
がん細胞だけを見れば、実はものすごく「成功」している。どんどん増え、周囲から栄養を奪い、血管まで自分のところへ引き込む。細胞単体のKPIだけ見れば「前年比300%成長!」みたいなものだ。でも、身体全体は確実に弱っていく。最近、社会についても同じようなことが起きているんじゃないかと思うようになった。
たとえば、科学の世界には「査読」という仕事がある。研究者が論文を書いたとき、それをそのまま世の中に出すのではなく、同じ分野の研究者が読んで「この実験方法で、この結論まで言えるのか」「先行研究と矛盾していないか」と確認する。つまり査読者は、単なる誤字脱字の修正ではなく、人類が「知」として保存しようとしているものに変なものが混ざっていないかを点検している。社会の知識体系にとって、かなり重要な仕事だ。
ところが、この仕事は驚くほど見えにくい。一般人は論文を書いた教授をすごいと思っても、何時間も読み込んで「このデータだけでは証明になりません」と指摘した査読者の名前すら知らないことが多い。しかも多くの場合、研究者が自分の通常業務の中で引き受けている。社会全体の知識の精度を高めているのに、その労力が直接大きな収入につながるとは限らないのだ。社会にとって価値の高い仕事をした量と、その人が受け取るお金の量は、必ずしも一致しない。査読者は社会に価値を与えているが、その価値を直接お金に変換する仕組みを持たないからだ。
一方、出版社やプラットフォームのように「人が作った価値が通過する場所」を持っている人は、その価値の一部を収益として捕捉できる。出版にも流通にも価値はあるのでそれが悪いわけではないが、「誰がどれだけ社会的価値を作ったか」と「誰にどれだけお金が入るか」は、かなり別の仕組みで決まっているということだ。
そして、このズレが極端に見えるのが、今のSNSやインフルエンサーの世界だ。科学者が「まだ分かっていません」「個人差があります」と慎重に話すのは誠実な態度だが、YouTubeのタイトルとしては弱い。一方、「今までの常識は全部間違っていた!」「私は17年間これをやっています!」「誰でもこうなれます!」と言い切れば人は見る。正しいかどうかとは別に、強い言葉には人を集める力がある。反論されれば炎上し、さらに注目を集める。間違っている可能性が高い主張であっても、間違っているからこそ注目されることすらある。
ここで単に「変なことを言う人がいるね」で終わるなら、そこまで問題だとは思わない。「一日30分しか寝ません」とか「宇宙人と会話できます」と言って笑いを取り、広告収入を得るだけなら芸人の大げさな話と近い。問題はその先だ。強い健康上の主張で注目を集め、「あなたにもできます」と高額な有料サービスとして販売する。ここまで来ると単なるエンターテインメントではない。なぜなら、主張が間違っていたとき、その損失を受ける人が出てくるからだ。
私が一番気になっているのは、この「効果がなかった場合の損失を購入者が負う」という非対称性だ。うまくいった受講者がいれば「このプログラムで成功しました」と売り手の実績になる。しかし、うまくいかなかった人には「個人差があります」「あなたの実践や生活習慣に問題があります」と言うことができる。成功したときの利益は売り手に帰属し、失敗したときの損失は購入者に残る。会社の帳簿には「売上100万円」と記録されるが、その商品を信じた人が体調を崩したり、時間を失ったり、別の適切な治療機会を逃した損失は載らない。利益は自分のもの、損失は他人のもの。これって、がん細胞の構造にちょっと似ている。がん細胞も身体のことは考えず、ただ自分が増える仕組みを作動させ、結果的に自分の増殖には成功し、身体全体に損害を与える。社会の中でも「売上が増えた」「フォロワーが増えた」という局所的な成功だけを評価すると、同じことが起きる可能性がある。
そして本当の損失は、商品を買った人の被害だけではない。もし社会が「エビデンスを積み上げるより、センセーショナルなことを言った方が儲かる」という成功モデルを許容したらどうなるか。一人の成功を見た10万人の中から、「何年も大学院で研究するより、SNSで断言した方が早いじゃん」と思う人が出てくる。人間は社会のインセンティブを見て行動するからだ。十年間研究して慎重な結論を出す人より、根拠の薄いことを強く言い切る人の方が何十倍も稼げるなら、後者を選ぶ人が出るのは当然だ。
ここで社会が失うのは直接的な損害だけではない。その人が別の道を選んでいれば作ったかもしれない価値、本来なら生まれたはずの技術、薬、サービス、あるいは良い教師になっていたかもしれない可能性まで失う。その才能と時間が「どうやったら炎上できるか」「どうしたら高額商品に誘導できるか」に使われるのは、社会全体から見れば人的資本の誤配分だ。しかもこれは、この世に存在しなかったものだから数字には表れず、見えにくい。査読者の労力が見えないのと同じように、社会を支えているプラスも見えにくければ、社会から奪われた「生まれなかったプラス」も見えにくい。一方で、「売上1億!」「フォロワー50万人!」という数字だけはよく見える。だから社会は知らないうちに、がん細胞の増殖率だけを褒めて、正常細胞の仕事を無視する状態になり得る。
私は、これは健全ではないと思う。査読者のように人類の知識を黙って守っている人や、「これはまだ分からない」と正確に言う人にスポットライトが当たり、報われる仕組みを強くした方がいい。逆に、根拠の乏しい健康情報を事実のように提示し、失敗の損失は購入者に残す稼ぎ方には、大きな社会的コストが伴うべきだ。「騙された方も悪い」で済ませるのではなく、責任を取らせる社会であってほしい。なぜなら、その報酬表そのものが、見ている次の10万人に対するものすごく強い教育になるからだ。
だから私は、「社会に価値を与える人や仕組みにお金が集まる」社会がいい。良い研究をした人、正確な情報を届けた人、人を健康にした人、面白いエンターテインメントを作った人が儲かる。それなら、次の10万人も「自分も人の役に立つものを作ろう」と思う。逆に、誇張し、炎上し、失敗の損失は顧客に負わせれば儲かる社会にしてしまえば、次の10万人はそのゲームを学習する。
社会という巨大な身体を健康に保つというのは、たぶんそういうことなんじゃないか。正常な細胞に「黙って社会のために働け」と要求するだけでなく、きちんと栄養を受け取れるようにする。そして、身体全体を犠牲にして増殖する方法では、長期的には得をしない仕組みにする。善人を増やすより、その方がずっと確実だ。最近、そんなことを考えている。

コメント