最近、資産形成について考えていた。
別に生活に困っているわけではない。
この町で働き、パートナーと暮らし、たまに旅行へ行き、バルコニーでビオトープをいじる。金のかかりすぎる趣味もない。だから世間一般でいう「老後不安」に追い立てられているわけでもない。
それでも、ふと考えることがある。
私は本当に「お金」を持っているのだろうか、と。
もちろん預金通帳には印字されていて、
アプリにも数字が表示される。
だが、その数字はどこに保存されているのだろう。
老後に必要とされる二千万円とは、たとえば時給二千円の人を一万時間働かせることができる権利のようなものだ。
そう考えると急に奇妙な気持ちになる。
二千万円貯めたとして、その時の私は、一万時間分の労働を引き出せる権利を持っている、ということになるが、
どこか宇宙銀行のような場所に、その価値は保管されているのだろうか。
当然ながらそんなものは存在しない。
通帳に記載された数字は、どこかの金庫に札束として積み上がっているわけではない。
銀行のサーバーに記録されているだけだ。
そしてそのサーバーですら、停電や災害や戦争や革命によって失われる可能性がある。
では二千万円とは何なのだろう。
考えているうちに、一つの言葉に行き着いた。
貨幣とは、社会が安定している限り有効な約束手形なのではないか。
この表現が、今のところ一番しっくりくる。
二千万円とは、二千万円そのものではない。
国家があり、法律があり、銀行があり、警察があり、道路があり、電気があり、通信があり、スーパーに商品が並び、他人が働いている。
そうした膨大な成立条件が維持されている限りにおいて、「未来の労働や資源と交換できますよ」という社会からの約束手形なのである。
だから本当は、
「お金があるから社会が従う」
のではない。
順番は逆だ。
「社会が機能しているからお金で買える」
のである。
しかし、この順番は案外忘れられやすい。
お金を持ち始めると、人はつい錯覚する。
お金があれば何でもできる。
お金があれば人は動く。
お金があれば自由になれる。
確かに半分は正しい。
だが、そのお金を成立させている土台を忘れた瞬間、話はおかしくなる。
飲食店で横柄な態度を取る客がいる。
「金を払っているんだからいいだろう」と言う。
だが本当は、農家が野菜を作り、物流が運び、電気が供給され、店員が働いているから料理が出てくる。
お金はその関係性にアクセスするための鍵であって、人を支配する杖ではない。
この違和感を、日本人は昔から何となく持っていたような気がする。
よく「日本人はお金を汚いものと思っている」と言われる。
だが私は少し違うように思う。
日本人はお金そのものを嫌っているのではない。
お金だけを見て、その成立条件を忘れることを嫌っているのではないか。
たとえば成金という言葉がある。
ただ金持ちという意味ではない。
お金があることを理由に、周囲への敬意や節度を失った人への揶揄である。
逆に、立派な経営者や商人は昔から尊敬されてきた。
その違いは何か。
それは、自分の財産がどこから来たのかを理解しているかどうかだと思う。
ここで「いい金持ち」と「わるい金持ち」の違いが見えてくる。
わるい金持ちは、お金によって全てが成立していると思っている。
いい金持ちは、お金が成立するための社会の存在を知っている。
良くない金持ちは、自分が金を持っているから世界が動くと思っている。
いい金持ちは、世界が動いているから自分のお金に価値があると知っている。
だから、いい金持ちは社会に泥を塗るような使い方をしない。
後ろ足で砂をかけるような振る舞いをしない。
なぜなら、自分の財産そのものが、その社会に支えられていることを理解しているからだ。
そして、この話は感謝という言葉にもつながる。
感謝というと、多くの人は「ありがとう」を思い浮かべる。
親切にされたからお礼を言う。
助けてもらったから頭を下げる。
もちろんそれも感謝だ。
だが私は最近、感謝にはもう一つの意味があるように思えてきた。
それは成立条件を理解することである。
自分が持っているお金。
住んでいる家。
毎日食べる食事。
安全な街。
電気のつく部屋。
こうしたものが、どれだけ広大な因果関係と相関関係の上に成り立っているのかを理解し、納得すること。
それが感謝なのではないか。
感謝は単なる礼儀ではない。
世界の成立条件を知ることである。
自分の快適さや自由や財産が、どれだけ多くの人々や制度や時間の積み重ねによって支えられているのかを理解すること。
そして、その理解の先に生まれる静かな納得感。
それが感謝という言葉の本来の姿なのかもしれない。
資産形成の話から始まったはずだった。
オルカンを買うか。
ゴールドを買うか。
不動産を買うか。
そんな話だった。
だが考えているうちに、私は別の場所へたどり着いた。
本当に気になっていたのは、「どの資産が儲かるか」ではなかった。
「価値とはどこに保存されているのか」だった。
そして、その問いを辿った先にあったのは、お金ではなく社会だった。
貨幣とは、社会が安定している限り有効な約束手形である。
だから私たちは、お金を信じているのではない。
本当は、その背後にある社会の継続性を信じているのだ。
そして感謝とは、その事実を理解し、納得することなのかもしれない。