時代の立ち上がりに触る権利

最近、AIと会話する時間が増えた。

正直、毎月それなりのお金もかかるし、
合理的に考えれば、もっと安く、もっと完成されたものを待つ、という選択もあるのだと思う。

でも、なぜか、今この瞬間に触れていたいと思う。


考えてみると、昔も似たようなことがあった。

大学生のころ、HTMLを一文字ずつ打っていた。
<a> とか <div> とか、意味も完全には分からないまま、それでも少しずつ画面が変わっていくのが面白かった。

もっと昔なら、ドラクエのふっかつのじゅもんを、ノートに書き写していた。
一文字でも間違えると「じゅもんがちがいます」と出て、あの時は本気で悔しかった。


今思えば、どれも非効率で、不完全で、面倒な作業だった。

でも、あのときの手触りは、今でも少しだけ残っている。


AIも、たぶん同じなのだと思う。

今はまだ、完璧ではない。
言い回しが少しずれたり、何度かやり取りをしないと意図が伝わらなかったりする。

でも、その不完全さの中で、少しずつ形ができていく。


便利さだけを考えれば、未来の方がいいに決まっている。

それでも、今しか触れないものがある。


「時代の立ち上がりに触る権利」

という言葉が、ふと頭に浮かんだ。


完成されたものを使うのではなく、
まだ形になりきっていないものに触れている感覚。

それは、効率とは別の場所にある価値なのかもしれない。


きっと数年後には、
今のこのやり取りも、ずいぶん不格好に見えるのだと思う。

それでも、この少しだけ手間のかかる感じは、
そのときにはもう戻らない。


だからもう少しだけ、
この未完成の時間に触れていようと思う。

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