明日からクール・ビズ

明日からクール・ビズだというのに、外はしとしとと雨が降っていて、空気がひんやりしている。半袖を着るには心もとない。カレンダーの上では季節が進んでいるのに、身体の感覚がついてこない。このズレが、妙に気になった。

仕事では、交通のことをまとめていた。
日本の交通行政の歴史を辿ると、鉄道で国をつなぎ、道路で経済を回し、やがて市場に委ね、そして今、「交通空白」という言葉で再び拾い上げようとしている。でも、その言葉はどこか軽くて、便利で、そして少しだけ怖い。

「空白」と言えば、誰かが埋めなければならないような気がしてくる。
けれど、その「誰か」がはっきりしないまま、国は方向だけを示し、事業者は採算を見て、自治体が最後に説明と実装を引き受ける。責任は分散されているのに、現場にはまとまった形で降りてくる。

これは、交通の話に限らない気がした。
少子化も、円安も、高齢化も、全部どこかで「圧」として降ってきて、気づくと自分たちがそれを調整している。誰かが強制しているわけではない。でも、断ると空気が濁る。だから引き受ける。その繰り返しで、社会はなんとか回っている。

クール・ビズも、似ている。
本来は合理的なはずの制度なのに、気温ではなく日付で切り替わる。寒いのにネクタイを外すかどうか迷う。誰かに言われたわけではないのに、どこかで足並みを揃えようとする。

雨音を聞きながら、ふと思った。
人類史は長いのに、明治から令和までのこの短い時間で、交通も働き方も価値観も一気に変わってしまった。同じ国に住んでいるのに、少し生まれた年が違うだけで、前提がまるで違う人たちが混ざり合っている。

たぶん今は、何かがほどけかけている途中なんだと思う。
制度も、言葉も、責任の置き場所も、まだうまく再配置されていない。

だからこそ、「空白」という言葉が生まれ、そこに圧が流れ込む。
そしてその圧を、誰かが静かに受け止めている。

外はまだ、細かい雨が続いている。
明日、半袖を着るかどうかは、朝の空気で決めようと思う。

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