結婚式が苦手な理由を考えていたとき、
ふと、
氷河期世代って、「家族」に対する距離感が独特なのかもしれない
と思った。
もちろん、
ひとくくりにはできない。
ちゃんと家庭を持ち、
幸せに暮らしている人も沢山いる。
でも、
氷河期世代の空気感には、
「家族というシステムを、少し外から見ている感じ」
がある気がする。
自分たちは、
バブル崩壊後の、
「頑張れば報われる」が崩れていく時代を見て育った。
親世代は、
まだ昭和の家族観をかなり強く持っていた。
父は働き、
母は支え、
結婚して家を持ち、
子どもを育てる。
そういう「普通」が、
まだ社会全体に残っていた。
でも、
氷河期世代は、
その普通が崩れていく瞬間を、
かなり近距離で見てしまった世代でもある。
父親が突然弱る。
会社が倒れる。
リストラされる。
非正規化する。
「家族を養う男」が成立しなくなる。
それでも、
価値観だけは昭和のまま残る。
だから、
現実と理想のズレが大きかった。
しかも、
学校では、
「個性を大事に」
「やりたいことを探そう」
「自分らしく」
みたいな、
新しい価値観も流れ始めていた。
つまり、
身体には昭和、
言葉には平成、
現実には不況、
みたいな、
妙なねじれの中を通ってきた。
だから、
結婚式みたいな場に行くと、
祝福の気持ちはあるのに、
どこか演出感を感じてしまう。
「温かい家庭を築きます」
「皆様に支えられて」
その言葉自体は美しい。
でも、
氷河期世代って、
その美しい物語が崩れる瞬間も、
かなり見てきている。
家庭が壊れるところ。
父親が沈むところ。
母親が疲弊するところ。
空気だけ維持されるところ。
だから、
完全には没入できない。
少しだけ、
観客席から見てしまう。
これって、
冷笑とは少し違う。
むしろ逆で、
「本気で信じたかった」
世代だからこそ、
壊れるところも深く見てしまった感じがある。
だから、
家族を否定したいわけじゃない。
ただ、
家族という言葉に、
少し慎重になる。
そして今、
令和の価値観はさらに変わってきている。
対等性。
心理的安全性。
境界線。
モラハラ。
共感。
昔なら「普通の夫婦」で済まされていたものが、
次々と言語化されていく。
それは必要なことでもある。
でも同時に、
人間の身体は、
そんな高速にアップデートできない。
だから今って、
昭和の幸せな家族像、
平成の自己責任、
令和の心理安全性、
その全部を抱えたまま、
人々がなんとか生きている時代なんだと思う。
氷河期世代って、
その境目に挟まれた世代なのかもしれない。
古い家族像を知っていて、
その崩壊も見ていて、
新しい価値観も流れ込んできた。
だから、
どこにも完全には乗り切れない。
でも逆に言えば、
家族を、少し距離を置いて観察できる世代でもある気がしている。

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