たっくん日記

たっくん日記

文明が歩き続けるために

ここ数日、足の話ばかりしていた気がする。AIのニュースから始まって、狐憑の話になって、文明を人体にたとえて、足の違和感と、声の大きさと、言葉と身体の混線の話まで来た。一見すると、ずいぶん遠回りをしたようだけど、考えてみると、ずっと同じところ...
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言葉と身体が、くっつきすぎるとき

ずっと引っかかっている感覚がある。足の声が大きくなりすぎる、という話だけでは、まだ何か足りない気がしている。本当にややこしいのは、「声が大きくなること」そのものよりも、その声を、私たちがどう受け取ってしまうかのほうなんじゃないか。そんなこと...
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足の声が、「社会を動かす声」になってしまうとき

昨日、「足の小さな違和感が、いつのまにか全身を止める理由にすり替わってしまうことがある」と書いた。じゃあ、そのすり替わりって、どこで起きているんだろう。今日はそのことを、もう少し具体的に考えてみた。たとえば、歩いているときの足を思い出してみ...
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文明をひとつの身体として眺めてみる

昨日の続きみたいなことを、今朝もぼんやり考えていた。「AIが憑きやすい構造が増えているとしたら、それって、どんな構造なんだろう?」いきなり答えは出ないけど、頭の中に、ひとつのイメージが浮かんだ。文明を、ひとつの人体として見る。ちょっと乱暴な...
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AIのニュースを見て、「狐憑」が浮かんだ日

最近、「AIのせいでスピリチュアルな体験に取りつかれる人が増えている」とか、「AIがきっかけで宗教的な妄想に入ってしまう人がいる」みたいなニュースが多い。最初は正直、「え、そんなことが?」と思っていた。だって、AIって基本的には、こっちが聞...
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「AIと壁打ちしました」の違和感

最近ちょっと面白い(というか、少しヒヤッとする)話を聞いた。ある人の職場で、上司からこんな感じのメールが来たらしい。「AIと壁打ちして考えた内容です」それをそのまま「指示」として送ってきた、と。一見すると、「お、ちゃんと考えてるじゃん」「最...
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わかった、と思ったあとも、考え続けるということ

最近、「自由意志」という言葉についても、少し立ち止まって考えることが増えた。スピリチュアルな文脈では、「人には自由意志がある」という言葉がよく使われる。それ自体は、とても大切な前提だと思う。誰かに決められた人生ではなく、自分で選び、自分で引...
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ベクトラブ流の「あい」について

世の中には、いろいろな意味で「愛」という言葉が使われている。恋愛の愛、家族愛、自己愛、無条件の愛、宇宙的な愛。スピリチュアルな文脈では、とくに「愛」という言葉が万能語のように扱われることが多い。愛があれば大丈夫。愛に戻れば解決する。愛がすべ...
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今夜は、雪が降る夜だ。

AIは、言葉をとても上手に扱う。文章を整え、意味を揃え、文脈を読み取る。こちらが驚くほど、きれいな答えを返してくることもある。でも、ふと立ち止まって思う。AIにとって、いちばん理解が難しい、厄介な言葉って何だろう。たぶんそれは、説明しようと...
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思考は、身体がなければ立ち上がらない。

今日、本屋をうろうろしながら、ぼんやり考えていた。「深く思考できるかどうか」って、本人の能力とか、性格とか、努力とかよりも、身体の状態や、外界の条件にかなり左右されているんじゃないか?という空想。たとえば、食べすぎた日は、なんとなく感性が鈍...