言葉がきれいすぎる世界

会話と対話のことを考えているうちに、もう一つ、気になっていたことに繋がった。

最近、エックスとかヤフコメとか、YouTubeのコメント欄を見ていると、なんだか妙に「AIっぽいな」と感じることが増えた。

別に、全部が全部、AI生成というわけではないと思う(大半はそうかもしれないけど)。
むしろ、人間が書いているはずの言葉が、どこか似てしまっていることが気になる。

当たり障りがなくて、正しくて、誰も傷つけないように配慮されていて、でもどこか軽い。

読んでいて、「うん、そうだね・・・」とは思うんだけど、それ以上は何も残らない。

その言葉を発した人の顔も見えないし、背景も感じない。

ただ、空中に浮かんでいるみたいな言葉。

たぶん、自分が違和感を持っているのはそこなんだと思う。

言葉って本来、どこかから出てくるもののはずで、
その人が見てきたものとか、経験してきたこととか、うまく言えない違和感とか、そういうものがにじむはずなのに、それが感じられない。

きれいすぎるというか、整いすぎているというか、
まるで「正解だけを集めてきた」みたいな言葉。

もちろん、それが求められている場面もあると思う。

炎上しないようにするとか、誤解されないようにするとか、
変なことを言って叩かれないようにするとか。

そういう圧力の中で言葉を選んでいくと、どうしても角が削られていく。

結果として、似たような言葉が増えていく。

でも、それを見ていると、なんだか息苦しくなって感情が死ぬ感じがする。

自分が求めているのは、もっと歪んだ言葉だったりする。

ちょっと偏っていたり、感情がにじんでいたり、
「それ言っちゃう?」みたいな危うさがあったりする言葉。

そういう言葉のほうが、その人がそこにいる感じがする。

獣臭くドロドロしている、という言い方もできるかもしれない。

でも、そのドロドロこそが人間らしさであり、
その人が生きてきた時間の痕跡みたいなものなんじゃないかと思う。

きれいに整った言葉は、確かに「正しい」し、安全だけど、
どこかで「誰の言葉でもない」感じがする。

それに対して、少し歪んだ言葉は、正しくないかもしれないし、危ういかもしれないけど、
そのぶん「その人の言葉だな」と感じる。

対話してみたくなるのも、たぶんそういう言葉のほうなんだと思う。

きれいな言葉は。理解はできるけど、入り込む余地がない。

でも、生臭い言葉には、どこか引っかかる場所があって、
そこから何かが始まりそうな気がする。

最近感じている「AIっぽさ」って、
もしかすると単にAIが増えたというより、

人間の言葉が、だんだん無菌化し、AI化しているということなのかもしれない。

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