手応えのない世界に触れている

最近のAIや動画を見ていると、
少し感じることがある。

AIで作られた映像や画像は、確かにすごい。
一瞬で驚くし、「ここまでできるのか」と思う。

でも、その驚きは長く続かない。

次々と新しいものが出てきて、
すぐに別のものに置き換わっていく。

気づけば、「すごい」という感覚そのものが、
だんだん薄くなっていく。


ショート動画も似ている。

つい、次から次へと見てしまう。
気がつくと、かなりの時間が経っている。

何かを見て、何かを感じているはずなのに、
見終わったあとに残るのは、
少しの疲労と、何も変わっていない現実だけだったりする。

頭は動いているようで、
実はどこにもつながっていない。


犬が匂いを嗅ぎ続ける「」という行動があるらしい。

匂いというのは情報の塊で、
それを嗅ぎ続けることで、犬はかなり疲れるのだという。

それに少し似ているのかもしれない。

人間も、情報を次々と嗅ぎ続けて、
何かをしているような感覚になりながら、
実際には何も変えていない。

ただ、疲れていくだけ。


ビオトープと比べると、その違いははっきりしている。

ビオトープでは、触れれば変わる。
水が流れ、環境が変わり、生き物が応える。

動画の中では、どれだけ見ても、
こちらの世界は何も変わらない。

関わっているようで、関わっていない。

触れているようで、触れていない。


もちろん、完全に切り離す必要はないと思う。

世の中の流れを知ることや、
自分とは違う価値観に触れることは、
やっぱり大事なことだとも感じる。

何も見ないままだと、
どこにいるのかも分からなくなる。


でも、その時間が増えすぎると、
だんだんと、動く力が弱くなっていく気もする。

触れているつもりで、触れていない時間が続くと、
実際に手を動かすことが、少しずつ遠くなっていく。


今は、たぶんバランスの問題なんだと思う。

情報に触れる時間と、
現実に触れる時間。

どちらも必要だけれど、
どちらに軸足を置くかで、
感じ方はずいぶん変わる。


世界には「意味」はなくても、「手応え」がある。

それは、実際に触れたときにしか感じられない。

画面の中ではなく、
手の中で変わるもの。


意味があるかどうかは、やっぱりよく分からない。

でも、どちらの時間を過ごしたときに、
自分が「ちゃんとここにいる」と感じられるかは、
少しだけ分かってきた気がする。


だから今は、
たまに情報に触れながら、
できるだけ、手を動かす側にいたいと思う。

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