結婚式って、
本来は「祝福の場」のはずなのに、
なぜか終わったあと、
ぐったり疲れてしまう人がいる。
別に、新郎新婦が嫌いなわけじゃない。
不幸を願っているわけでもない。
むしろ、
ちゃんと祝いたいと思っている。
それなのに、
身体がどこかで緊張している。
昔は、その感覚をうまく説明できなかった。
でも最近、
少しだけ分かる気がしている。
結婚式って、
単に二人を祝うイベントじゃない。
「家族」という巨大な物語に、
参加者全員を巻き込む儀式でもあるのだ。
親族席。
上司のスピーチ。
友人代表。
馴れ初めムービー。
「支えてくれた皆様」
「温かい家庭を築いていきます」
「立派になった息子を見て…」
あの空間には、
無数の「こうあるべき家族像」が漂っている。
しかも、それは言葉より先に、
空気として身体へ入ってくる。
結婚式がしんどい人って、
たぶん、
「結婚そのもの」が嫌なのではない。
「家族とはこうあるべき」というシステムへの巻き込まれ感
が苦しいのだと思う。
幼少期、
家庭の空気に過敏だった人ほど、
あの場の「役割固定感」に身体が反応する。
父親。
母親。
夫。
妻。
親族。
上司。
空気を読む親戚。
みんなが、
それぞれの「正しい役」を演じ始める。
そして、その空気は優しい。
優しいからこそ、
逃げづらい。
誰も怒鳴っていない。
誰も殴っていない。
でも、
「祝福するのが当然」
という巨大な同調圧力がある。
だから、
苦しくても、
苦しいと言いづらい。
笑顔で拍手しながら、
どこかで息が浅くなる。
結婚式の暴力性って、
たぶんここにある。
それは、
悪意の暴力じゃない。
「幸福の標準形」を、空気として提示してくる暴力だ。
しかも厄介なのは、
それが本当に幸せそうに見えること。
だから、
そこに馴染めない自分のほうが、
おかしい気がしてしまう。
でも、
人によって、
「家族」という言葉の温度は違う。
安心だった人もいれば、
緊張だった人もいる。
帰る場所だった人もいれば、
常に空気を読まされる場所だった人もいる。
だから、
同じ結婚式でも、
ある人には祝福で、
ある人には再演になる。
結婚式で流れる涙って、
嬉し涙だけじゃないのかもしれない。
過去の家族。
叶わなかった安心。
飲み込んだ感情。
そういうものまで、
一緒に呼び起こされる。
だから、
結婚式で疲れる人は、
冷たいわけでも、
ひねくれているわけでもない。
たぶん、
「家族」という場の重力を、
人より少し敏感に感じ取ってしまうだけなのだと思う。

コメント