最近、SNSで「結婚後に夫がモラハラ化するのは、本性というより“育った家族の再演”だ」という趣旨の文章を見かけた。
内容としてはかなり整理されていて、鋭いと思った。
人は、結婚して「夫」や「妻」という役割に入った瞬間、幼少期に見てきた家族の空気を再起動してしまう。
父は不機嫌で家を支配していた。
母は空気を読んでいた。
弱さは言葉ではなく怒りで表現されていた。
そういう家庭で育つと、本人はそれを嫌っていても、身体のどこかに「家族とはそういうものだ」という感覚が残っている。
だから、不安になると支配する。
傷つくと怒る。
助けてほしいのに命令口調になる。
頭では「そんな父親にはなりたくない」と思っていても、身体は古い家族を再生してしまう。
この整理は、かなり本質的だと思う。
ただ、その一方で、別のことも感じた。
それは、
「価値観の更新速度、速すぎない?」
という感覚だ。
もちろん、モラハラを肯定したいわけではない。
ただ、今「モラハラ」と呼ばれているものの中には、昭和〜平成初期くらいまでは「普通の家庭」として大量に存在していた振る舞いも含まれている。
父親が家の空気を決める。
母親が調整役になる。
男は弱音を吐かない。
食わせている側が強い。
そういう家庭は、珍しくなかった。
苦しかった人もいただろう。
でも少なくとも、社会はそれを「異常」とは呼んでいなかった。
ところが、ここ10〜20年くらいで、
対等性、
心理的安全性、
境界線、
共感的コミュニケーション、
みたいな価値観が一気に広がった。
しかもSNSによって、全国同時に同期される。
昔なら、
「うちの父親、怖いな」
で終わっていたものが、
今はスマホを開けば、
「それは支配です」
「それはモラハラです」
「逃げてください」
という情報が即座に流れ込んでくる。
ここで起きているのって、
“家庭のローカルOS”が、“クラウド同期”され始めた
ということなんだと思う。
しかも厄介なのは、人間の身体はそんな速度で変われないことだ。
頭では「対等が大事」と理解していても、
不安や孤独や疲労が来ると、
人は一番深く刻まれた“実家モード”へ戻りやすい。
だから今の時代って、
頭は令和、
身体は昭和、
環境は超高速通信、
みたいな、ねじれ状態の人が多い気がする。
そして、自分が最近ずっと感じている違和感も、たぶんここに近い。
変化が悪いわけじゃない。
昔に戻りたいわけでもない。
でも、
「身体が熟成する速度」
と、
「情報が更新される速度」
の差が、かなり危ういところまで開いている感じがする。
江戸時代にも、
「最近の若いものは」
みたいな話はあったらしい。
だから、世代間ギャップそのものは昔からある。
ただ、現代はやはり少し特殊だ。
一日に触れる情報量。
比較できる他人の数。
価値観の流入速度。
それらが、昔とは桁違いになっている。
昔なら、一生知らずに終わったはずの「別の家族像」が、毎日スマホから流れ込んでくる。
その結果、
家庭の中にまで“外部基準”が入り込む。
閉じた村だった家族が、常時オンライン空間になった。
今って、たぶん、
人間の身体OSが、
文明の通信速度に追いつけなくなり始めた時代なんだと思う。

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