「生物学的に」という言葉

最近、SNSで議論を読んでいると、ある言葉が急に現れることがある。

「生物学的に」。

この言葉が出てくると、不思議なことが起きる。

それまで人生の意味とか、価値観とか、社会とか、心理とか、
いろんなレイヤーで話していたはずの議論が、
その一言で急にリセットされる。

そしてこう言われる。

「生物学的に考えれば〜」。

この言葉をよく聞く場面は、だいたい決まっている。
同性愛の話。
子どもを持つか持たないかの話。
ジェンダーの話。

そういうテーマになると、突然「生物学的に」という言葉が登場する。

でも、少し不思議だ。

人間ももちろん生物なのだから、
人間の行動や社会も、当然、生物学の研究対象になる。

もしそうなら、どれほど珍しい行動でも、
どれほど理解しづらい生き方でも、
それも含めて観察し、説明しようとするのが
生物学という学問のはずだ。

本来の生物学は、
目の前の現象を「なぜこうなっているのか?」と
客観的に記述する学問だ。

つまり Describe(記述) の学問。

しかし、議論の文脈ではこの言葉が
「生物とはこうあるべきだ」という
Prescribe(規範) として使われがちだ。

SNSなどの議論で「生物学的に」という言葉が投げ込まれるとき、
それは科学的な探究の始まりではなく、
むしろ対話を強制終了させる
思考停止のシャッターのように使われることがある。

あるいは、それまで積み上げてきた議論を
一瞬でひっくり返す
ちゃぶ台返しのように。

もちろん、生物としての人間を考えること自体は大事だと思う。

ただ、人間は生物であると同時に、
文化を作り、言葉を使い、社会を作る存在でもある。

だから「生物学的に」という一言だけで
人生や価値観の話を終わらせてしまうのは、
少しもったいない気もする。

人間という存在は、
生物学だけでなく、社会学でも、心理学でも、
文学でも、哲学でも見ることができる。

むしろ、そういう多層の視点で見たほうが、
少し面白くなる気がする。

最近、そんなことを思った。

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