水滴と虹の話(氷河期世代のことを少し)

「水滴があるから虹になる」

そんな話をしていて、ふと、氷河期世代のことが頭に浮かんだ。

一般的にも、あの世代はつらい思いをしてきたと言われるし、実際にそういう声も多い。
自分自身も、どこかでその空気を感じながら生きてきた気がする。

理不尽なこととか、納得いかないこととか、
「なんでこうなるんだろう」と思うような出来事。

そういうものが、積み重なっている。

もしあれを「水滴」と呼ぶなら、
たしかに、たくさんの水滴を持っている世代なのかもしれない。

そう考えると、
それだけ虹が見えやすい人生なのかもしれない、と思った。

もちろん、だからといって、つらさや理不尽さを肯定するつもりはまったくない。
あれは単純に、しんどいものはしんどい。

ただ、そこで終わらずに、
その経験をどう扱うか、という話なのかもしれない。

水滴があるだけでは、虹は見えない。

光が当たって、屈折して、
ようやく「ああ、こういうことだったのか」と感じる瞬間が来る。

でも、その前に、濁ってしまうこともあるし、
凍ってしまって、光を通さなくなることもある。

だから、虹が見えるかどうかは、
単純に「水滴が多いかどうか」では決まらない。

むしろ、その水滴をどう持ち続けるか、
どう扱うかのほうが大きい気がする。

受け止めて、すぐに消してしまわずに、
でも抱え込みすぎて固まらせるわけでもなく、
少しずつ、自分の中で動かし続ける。

発酵させる、という言い方が一番近いかもしれない。

そうやって、光を通し続けていれば、
どこかのタイミングで、虹が見えることもあるのかもしれない。

必ず見えるとは言えないけど、
可能性としては、確かにある。

そんなふうに思った。

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