自分という主体は、自分で選んだわけじゃない。

この前、「なんで毎回自分として目が覚めるんだろう」って考えてた。

で、そこからちょっとだけ、
あんまり明るくない方向のことも考えてしまった。

もし、この「自分」っていう主体ごと、
消えてしまったらどうなるんだろう、って。

単純に言えば、
この身体がなくなったら、
この「自分」はもう立ち上がらないはずだよね。

今こうやって考えてるこの視点も、
この身体、この脳、この記憶があるから成立してるわけで。

それが全部なくなったら、
この「自分」は再起動しない。

たぶん。

じゃあそのあと、
どうなるんだろう。

別の誰かとして始まるのか。

それとも、
ほんとに何もなくなるのか。

でもここで、ちょっと変なことに気づく。

「何もなくなる」って、
それを感じる自分がいないと成立しないよね。

無になる、って言うけど、
その「無」を体験する主体はもういないはずで。

じゃあそれって、
どういう状態なんだろう。

考えようとすると、
急に足場がなくなる感じがする。

で、もう一個、ちょっと黒いことも思う。

もしこの主体が、
この身体で生きるのがしんどくて、

「もうこの条件で立ち上がりたくない」
って思ったときに、

それを止める理由って、どこにあるんだろう。

いや、倫理とか社会とか、
そういう話は一旦置いておいて。

純粋に構造として。

この主体は、
この条件から勝手に立ち上がってるだけで、
自分で選んだわけじゃない。

なのに、
終わらせることだけは「ダメ」って言われるの、
ちょっと不思議じゃない?

もちろん、
軽く考えていい話じゃないのは分かってる。

でもそれでも、

「始まりは選べないのに、終わりは制限される」

っていうのは、
なんかちょっと引っかかる。

ただ同時に、

本当にそれを選んだとき、
何が起きるのかは分からない。

別の何かになるわけでもなさそうだし、
かといって「無」っていうのも、
うまくイメージできない。

ただ一つ確かなのは、

いまこうやって考えてるこの感じは、
この身体があるから成立してるってこと。

それがなくなったときに、
何が残るのか。

それとも何も残らないのか。

そこだけは、
どうしても分からない。

まあ、
分からないままでも、
また明日、普通に目が覚めるんだろうけど。

コメント

タイトルとURLをコピーしました