takkun

たっくん日記

なぜ自殺がだめなのか(生きることは義務なの?)

今日は、「なぜ自殺がだめなのか」ということを、あらためて考えていた。よく考えてみると、「死はダメ」という話が、そのままスライドして、いつの間にか「生きることが義務」みたいな空気に変わってしまう感じがある。生きるって、本来そんなに命令っぽいも...
たっくん日記

やさしい循環が「構造」になるとき

昨日書いた違和感を、もう少し構造のほうまで掘ってみる。たぶん、いちばん根っこにあるのは、「不可視化」と「不可避化」が、やさしい言葉の皮をかぶって入り込んでくる感じへの警戒なんだと思う。現代の大企業経済って、・不可視化:仕組みが見えない(アル...
たっくん日記

「得意で好きなことが循環」への苛立ち

ある人の「得意で好きなことが循環」「無理せず楽しく」「競争しない生き方」みたいな文章を読んで、正直、かなりイラっとした。ハンドメイド、占い、カウンセリング、ヒーリング、Webサービス。まあ、きれいな仕事ばっかり並んでる。土木、清掃、介護、医...
たっくん日記

居場所がある人たちの外側で。

二本の記事を書き終えて、画面をぼんやり眺めている。『ウィキッド ふたりの魔女』①――重力があるから、飛べる『ウィキッド ふたりの魔女』②――人は、支配されたいのではなく、委ねたい書き切ったというより、ひとつの思考の流れが、いったん着地した、...
たっくん日記

「私って生きづらい」と社会に向けて言うということ

今日は、「生きづらい」って言葉を、社会に向かって口にする、という行為そのものについて考えていた。 きっかけは芸能人のインタビュー記事だったけれど、読み進めるうちに、だんだん個人の話じゃ済まなくなってきた。 「この言葉って、社会の中でどう扱わ...
たっくん日記

AIに飲み込まれるかどうか

先日、「AIと壁打ちしました」という言葉に、どうにも引っかかる違和感があった、という話を書いた。「AIと壁打ちしました」の違和感AIに相談すること自体が悪いわけじゃない。むしろ、思考の整理や視点の拡張には、とても有効な道具だと思っている。そ...
たっくん日記

文明が歩き続けるために

ここ数日、足の話ばかりしていた気がする。AIのニュースから始まって、狐憑の話になって、文明を人体にたとえて、足の違和感と、声の大きさと、言葉と身体の混線の話まで来た。一見すると、ずいぶん遠回りをしたようだけど、考えてみると、ずっと同じところ...
たっくん日記

言葉と身体が、くっつきすぎるとき

ずっと引っかかっている感覚がある。足の声が大きくなりすぎる、という話だけでは、まだ何か足りない気がしている。本当にややこしいのは、「声が大きくなること」そのものよりも、その声を、私たちがどう受け取ってしまうかのほうなんじゃないか。そんなこと...
たっくん日記

足の声が、「社会を動かす声」になってしまうとき

昨日、「足の小さな違和感が、いつのまにか全身を止める理由にすり替わってしまうことがある」と書いた。じゃあ、そのすり替わりって、どこで起きているんだろう。今日はそのことを、もう少し具体的に考えてみた。たとえば、歩いているときの足を思い出してみ...
たっくん日記

文明をひとつの身体として眺めてみる

昨日の続きみたいなことを、今朝もぼんやり考えていた。「AIが憑きやすい構造が増えているとしたら、それって、どんな構造なんだろう?」いきなり答えは出ないけど、頭の中に、ひとつのイメージが浮かんだ。文明を、ひとつの人体として見る。ちょっと乱暴な...