「得意で好きなことが循環」への苛立ち

ある人の「得意で好きなことが循環」「無理せず楽しく」「競争しない生き方」みたいな文章を読んで、正直、かなりイラっとした。

ハンドメイド、占い、カウンセリング、ヒーリング、Webサービス。
まあ、きれいな仕事ばっかり並んでる。
土木、清掃、介護、医療、ごみ処理みたいな、身体をすり減らす現場労働の気配はゼロ。

でもさ、その「好きなことの循環」って、誰かが作ったPCの上で、誰かが整備した電気と通信の上で、誰かにごみや下水の処理を押し付けて、ぬくぬく成立してるんだよね。
3K仕事は全部、最初から「背景」として消されてる。

だからどうしても、全体が浮ついて見える。
「循環」って、内輪の文化祭みたいなものに使っていい言葉なのだろうか。

しかも「競争しない」「自然体」と言いながら、1.5時間15,000円、「二度とないチャンス」といった希少性を煽るコピー、スピリチュアルの抱き合わせ。
やってることは、わりとちゃんとしたビジネスで、資本主義ど真ん中じゃん、という。

結局、過酷な競争から降りただけで、小さな資本主義を別の場所に作って、そこで安心して回しているだけに見える。

田舎の古民家暮らしも、一部上場企業で獲得したITスキルという「資本」を、場所を変えて換金しているだけで、本当に土を耕して、汚れを引き受けて、循環をゼロから作っているわけじゃない。

「好きなことで生きる」「循環」「思考の現実化」って言葉が、あまりにも軽くて、便利で、都合がいい。
その言葉の下で、誰かが臭くて重たい仕事を押し付けられている現実への想像力が、ほとんど感じられない。

正直これは、循環というより、
「きれいなところだけ集めたごっこ遊び」に見える。

たぶん、いちばん引っかかってるのは、
「自分は資本主義から降りながら、資本主義の恩恵にちゃっかり浴しちゃってる感じ」なんだと思う。

責めたいわけじゃない。
正直、うらやましさも、嫉妬も、ちゃんと混ざっている。

たぶん、その混ざりものをひっくるめて引き受けないと、自分の言葉は、軽くなるんだろうと思う。

大寒。

今日は、心もよく冷えている。

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