第9章「旗と磁場」

思想は、心の中にあるうちは風のようなものだ。
どれだけ深く、広く、真理に触れていても、
誰も知らなければ、世界には存在しないのと同じだ。

翻訳の次に必要なのは──
「旗を立てる」ことだ。


旗とは、思想を現実世界に“視える形”で掲げること。

旗には、二つの力がある。

ひとつは、「自分の方角を見失わないため」の力。
もうひとつは、「他者の磁場になる」力。


私は、自分の思想を「自分だけの遊び場」に閉じておくこともできた。
でも、それでは、滝は滝のままだ。
光も影も、私の中だけを流れ、誰の人生も照らさない。

旗を立てた瞬間──
思想は世界に、重力を持ちはじめる。

まるで風が、帆をはらませるように。


旗は、巨大な建造物である必要はない。
最初は、ほんの小さな「しるし」でいい。

「エッセイを一本、公開する」
「名刺に一行、肩書を入れる」
「SNSに、自分の言葉で宣言する」

旗を立てるというのは、
宇宙に向かって「ここにいる」と名乗ることだ。


磁場は、旗のまわりに自然と生まれる。
人は、旗そのものに集まるのではない。

その旗に込められた「振動」に
無意識のうちに引き寄せられるのだ。

たとえば、焚き火のまわりに人が集まるように。
滝の音に耳を澄ませるように。

思想が旗になると、それは磁場になる。


旗には「距離感」がある。
近づきたい人、遠くから見る人、
ときどき眺めるだけの人。

この距離を、翻訳者はコントロールしようとしない。
磁場とは、コントロールできない力だから。

ただ、「芯」をまっすぐに立てるだけでいい。


旗は、私の代弁者になる。

私が黙っていても、
その思想が、世界と人とを結び続ける。

だから私は、旗を立てるとき、
いつも少し震える。

それは、自分を差し出すことだから。
でも同時に、それは──
宇宙と共鳴する瞬間でもある。


たとえば、Kindleでの出版。
たった1クリックで、思想はインターネットの海へ解き放たれる。

本そのものが「旗」になり、
読んだ人の心のどこかで「磁場」が発生する。

それは私の目に見えない場所で、
静かに誰かを導いていく。

私は、そのすべてを把握する必要がない。
旗が、勝手にやってくれる。


旗を立てるとき、多くの人は怖くなる。

「まだ完璧じゃない」
「もっと準備が必要」
「失敗したらどうしよう」

でも、旗は「完璧」である必要はない。
むしろ、不完全な旗ほど、磁場は強くなる。
なぜなら、そこに“余白”があるからだ。

余白が、共鳴を呼ぶ。

旗を見上げた誰かが、
「自分にもできるかもしれない」と
小さな勇気を灯す。

それが磁場の本当の力だ。


私が12月12日という日に旗を立てようとしているのも、
偶然ではない。

境界の日。
鳩ヶ谷庁舎を離れ、
古い場所から新しい場所へ移るその日。

「境界」は旗を立てるのに最もふさわしい場所だ。
なぜなら、磁場は“あいだ”に生まれるから。


旗は、思想を“現象化”する。
磁場は、人と思想を“接続”する。

そして私は、その磁場の中心で、
ただ静かに「観測者」でありつづける。

旗を立てるとは、
支配することではなく、
開くことだ。


メタ星人は、旗を「塔」ではなく「灯」として立てる。
眩しすぎず、
柔らかく、
静かに燃え続ける炎。

その灯を見て、
自分の道を思い出す人がいる。
そんな旗がいい。

旗が磁場になり、
磁場が人を呼び、
思想が、静かに歩き出す。

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