第5章「マリオカート仮説」

人生は、マリオカートに似ている。
この仮説を最初に思いついたとき、私は笑ってしまった。
でも、笑えば笑うほど、
この比喩のなかに“宇宙の構造”が透けて見えた。


マリオカートでは、レースのたびに「コース」を選ぶ。
キノコカップ、フラワーカップ、スターカップ……
砂漠のコースもあれば、雪山のコースもある。
コースによって、
障害物の種類も、カーブの角度も、勝ち筋も違う。

この「コースこそが、魂」だ。

コースを選んだ時点で、
レースのほとんどは“決まっている”。


私たちは、生まれるときに「魂のコース」を選んでいる。
ある人は山岳コース。
ある人は水の上を走るレインボーロード。
ある人は、穏やかな草原。

それぞれのコースには、
得意な走り方、苦手な走り方、
避けようのないバナナの皮がある。

だから、他人のコースを羨んでも意味がない。
彼らは彼らのコースを、
あなたはあなたのコースを走っている。


多くの人は、「プレイヤー=自分」だと思いこんでいる。
マリオ(魂)がハンドルを握っているように見えるからだ。

でも本当は違う。
魂とは「コース」であり、
プレイヤーとは「意識」だ。

私たちの意識は、ただそのコースを
どう走るかを決めているにすぎない。


たとえば、ある人は「険しい山道」という魂のコースを選んでいる。
坂がきつく、カーブも多い。
下り坂ではスピードが出すぎてクラッシュしやすい。

そこで「プレイヤー(意識)」ができるのは、
コースを変えることではなく、
ブレーキとアクセルの踏み方を変えること。

慎重に走るか、攻めて飛ぶか。
キノコをいつ使うか。
その選択によって、同じコースでもまったく違う景色が見える。


この視点に立つと、
人生の「比較」という呪縛から自由になれる。

他人と比べるというのは、
違うコースのタイムを比べているのと同じ。
マリオサーキットとレインボーロードのタイムを比べても意味がない。

むしろ、自分のコースを深く理解すればするほど、
「このカーブはちょっと早めにドリフトだな」と、
“魂の癖”と呼吸を合わせられるようになる。


そして面白いのは──
この「魂のコース」は、
チューナーの目には見えることがあるという点だ。

たとえば数秘術や占星術は、
コースマップの断片を読む技術だ。
でも、それは決して「運命を固定」するものではない。

ただ、「ああ、この人は砂漠のコースなんだな」
「ここで落とし穴があるな」
という“地形の特徴”を読み解くだけ。

その上でプレイヤーがどう走るかは、自由だ。


この仮説は、
単なるスピリチュアルでも、ただのゲームの話でもない。
「フラクタル」「ビー玉」「二点」の構造の延長にある。

コース(魂)は宇宙の地形そのもので、
プレイヤー(意識)は、そこを観測する存在。
走り方は「問い」であり、
その軌跡が「物語」になる。


タイトルとURLをコピーしました