昨日、「足の小さな違和感が、いつのまにか全身を止める理由にすり替わってしまうことがある」と書いた。
じゃあ、そのすり替わりって、どこで起きているんだろう。
今日はそのことを、もう少し具体的に考えてみた。
たとえば、歩いているときの足を思い出してみる。
足が、
「ちょっと変だよ」
「ここ、さっきから当たりが強いよ」
と、小さくサインを出す。
身体はそれを受け取って、ほんの少し重心をずらしたり、歩幅を変えたりする。
ほとんど無意識の調整だ。
このくらいなら、何も問題は起きない。
足の違和感は、あくまで“現場からの情報”であって、
それだけで全身の進行方向を決めるものではない。
でも、もしその足の声が、急に強い主張の形で聞こえてきたらどうだろう。
「これはおかしい」
「このままじゃ危険だ」
「今すぐ変えるべきだ」
ただの感覚だったはずのものが、
いつのまにか“判断”や“結論”の顔をし始める。
ここで、身体の中にちょっとした緊張が生まれる。
「そんなにはっきり言われるなら、無視できない」
「間違えたら責任が取れない」
「止めたほうが安全かもしれない」
本当は「少し調整すればいい」程度の違和感だったはずなのに、
声の“強さ”だけで、意味の重さまで引き上げられてしまう。
最近のAIって、まさにこの「拡声器」みたいな役割を持っている気がする。
AIは、誰かの小さな違和感や不安や疑問を、
そのままの曖昧な感覚ではなく、
はっきりした言葉や、筋の通った主張の形に変えて返してくれる。
言葉になると、不思議なことに、
ただの「なんとなくの感じ」だったものが、
「理由のある意見」や「説明できる主張」に見えてくる。
頭の中にぼんやりあった感覚が、
文章として外に出てくるだけで、
その存在感は、一気に大きくなる。
まるで、小さな声がマイクを通ることで、
部屋じゅうに響くようになるのと、少し似ている。
ここで起きているのは、
感情が強くなったというより、
「たった一人分の感覚が、言語化されることで、社会に届く強度を持ってしまう」という変化だと思う。
もともと、一人の違和感は、足の感覚みたいなものだ。
大切な情報ではあるけれど、それだけで制度やルールを動かす前提にはならないはずだ。
でもAIを使うと、その違和感が、
- ちゃんと論理として整理され
- 正当な主張の形を持ち
- 反論しづらい言葉に整えられ
いきなり「社会に届く声」になる。
受け取る側――たとえば自治体や組織は、
「一意見に過ぎないから無視する」という処理がだんだんしづらくなる。
理屈として筋が通っている以上、ちゃんと向き合わざるを得ない。
もしここに、
「この程度の反対意見では、全体の仕組みは変えない」
「外部不経済があっても、社会として維持する軸はここに置く」
といった、はっきりした判断基準がなければ、
足の声が、そのまま全身の動きを止める理由になってしまうだろう。
このことを「AIが声を大きくする」と言っている。
音がうるさくなる、という意味じゃなくて、
一人分の感覚が、社会の意思決定に直接届いてしまう、という意味で。
ここで大事なのは、
AIが悪いとか、人が間違っているとか、そういう話ではない。
拡声器があれば声が大きくなるのは自然だし、
人間が大きな声に反応してしまうのも、身体の仕様だ。
問題は、「音量が大きいこと」と「正しさが保証されていること」を、
無意識に混同してしまう構造そのものにある。
足の声が強く聞こえるほど、
それが「従うべき判断」や「変えるべき結論」に、直結しやすくなる。
たぶん今の時代は、
この「影響力の逆転増幅」が、とても起きやすい環境なんだと思う。
じゃあ、この状態が続くと、何が起きるんだろう。
次は、「言葉」と「身体」が、どんなふうに絡まりすぎてしまうのかを、
もう少し考えてみたい。

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