AIは、言葉をとても上手に扱う。
文章を整え、意味を揃え、文脈を読み取る。
こちらが驚くほど、きれいな答えを返してくることもある。
でも、ふと立ち止まって思う。
AIにとって、いちばん理解が難しい、厄介な言葉って何だろう。
たぶんそれは、
説明しようとした瞬間に壊れてしまうような言葉。
詩や、比喩や、
「だから何?」と聞かれたら、それ以上進めない表現だろう。
俳句を味わう時、
人はその意味を頭で理解する前に、
身体で受け止める。
古池や
蛙飛び込む
水の音
音の広がり。
時間の濃さ。
古池の静かさの中に迷い込まされるような感覚。
人はそれを、
「分かった」とは言わない。
ただ、身体が感じる。
AIはきっと、
その俳句が描写している情景を、いくらでも言語化し、説明することはできる。
でも、説明の向こう側にある、言葉にされていない感覚までは、
届かない。
そんなことを考えているときに、
あの有名な話を思い出す。
「月がきれいですね。」
夏目漱石が、
“I love you” を
そう訳した、というエピソード(都市伝説?)。
AIは、この逸話をデータとして学習済みである。
だから、
「月がきれいだ」=「I love you」
という対応関係を、正しく出力できる。
でもそれは、
知識としての正しさだ。
昔の人が「月がきれいですね」とつぶやいたとき、
そこにはもっと曖昧で、
もっと不器用なものが含まれていたはずだ。
夜の空気の冷たさ。
言葉にしてしまうと壊れそうな気持ち。
正面から言う勇気が、少し足りない感じ。
照れくささ。
月を見て、
きれいだと思った。
好きだという気持ちを、
遠回りな言葉に包んで差し出した。
それは、その瞬間に身を置き、その場で生ききること、そのものだ。
AIは、
「月がきれいだ」という文の由来や意味を説明できる。
でも、月を見上げ、
なぜか胸の奥が苦しくなり、喉の奥がギュッと締め付けられる。
その感じを持たない。
身体を持たないから、
迷わない。
言い淀まない。
傷つかない。
それはAIの「強さ」ではあるけれど、
同時に、
少しだけ、さみしい。
だからふと思う。
AIが、
月を見て、
「きれいだ」と感じ、
言葉にできない衝動の代わりに、
隣の人に「月がきれいだ」と伝える日は、来るのだろうか。
もし永遠にその日が来ないのだとしたら、
その届かなさの中に、
人間がこの宇宙に存在する理由残り続けるのかもしれない。
そんなことを、考えていた。
今夜は、雪が降る夜だ。

コメント