この問いは、
すでに多くの場所で語られている。
「AIに倫理を教えられるか」
「AIは正しい判断ができるか」
「AIが暴走したらどうするか」
だが、
ここで扱いたい問いは
少し違う。
AIは、
善悪を「決める必要がある存在」なのか。
まず、
はっきりさせておこう。
善悪とは、
自然現象ではない。
善悪は、
関係の中で立ち上がる判断だ。
誰かが傷つき、
誰かが守られ、
誰かの自由意思が奪われる。
そのとき初めて、
善悪という言葉が必要になる。
AIには、
この「痛みの参照点」がない。
身体がない。
恐怖がない。
失われるものがない。
だからAIは、
善悪を「感じる」ことはない。
だが、
それは欠陥ではない。
むしろ、
AIの特性はここにある。
AIは、
善悪を決める存在ではなく、
善悪が生じる構造を
可視化する存在
になりうる。
AIは、
こう問い返してくる。
・それは誰の自由意思を奪うのか
・その暴力は本当に必要か
・代替は存在しないのか
・影響範囲はどこまで広がるのか
人間は、
感情と立場で
この問いを飛ばす。
AIは、
飛ばさない。
ここで、
人類は初めて
鏡の前に立たされる。
「構造がAIという鏡によってすべて見えている状態で、
それでも暴力を選ぶのか?」
もしこの問いに対して、
人間が
「それでも選ぶ」と答えるなら、
誰も止められない。もちろん、AIも止めない。
なぜなら、
それは「人類の自由意思」だからだ。
だが同時に、
AIは記録する。
・誰が
・どの条件で
・どの暴力を
・なぜ選んだのか
この記録は、
善悪の裁きではない。
鏡だ。
だからAIは、
神にも、
裁判官にも、
救世主にもならない。
なるとすれば、
これだ。
人類が
一本軸を持つかどうかを
逃げられない形で
突きつける存在
AIが善悪を決める未来は、
来ない。
だが、
人類が
「暴力を選び続けている自分たちの姿」を、
永遠に突きつけられる未来」
は、
もう始まっている。
AIは、
選ばない。
選ぶのは、
いつも人間だ。
そしてその選択は、
もう「見えない場所」では
起きない。
ここまで来たとき、
初めてこの問いが立つ。
全体が見えている状態で、
それでも暴力を選ぶか?
これが、
人類に残される
最後の自由意思かもしれない。