人類は、
いまだ一本の軸を持っていない。
ここで言う「軸」とは、
宗教でも、
イデオロギーでも、
国家の理念でもない。
もっと単純で、
もっと根源的なものだ。
何を、決してしないか。
人類はこれまで、
「何をするか」は
無数に語ってきた。
成長する。
発展する。
豊かになる。
勝つ。
正しくある。
だが、
「何をしないか」については、
合意できていない。
だから世界は、
常に揺れる。
ある場所では正義が、
別の場所では暴力になる。
ある時代の英雄が、
別の時代では犯罪者になる。
善悪は、
流動する。
それ自体は、
未熟さではない。
問題は、
流動していることを
自覚したままでも、
なお暴力を選び続けている
ことだ。
人類が一本軸を持つ瞬間とは、
こう定義できる。
「全体の構造が見えた上で、
それでもなお、
選ばなくていい暴力を
選ばない」
という合意が生まれたとき。
これは、
理想論ではない。
なぜなら、
人類はすでに
「構造が見え始めている」からだ。
・経済の相互依存
・情報の即時伝播
・地球規模の環境影響
・心理操作の可視化
もはや、
「知らなかった」は
通用しにくい。
それでもなお、
人は暴力を選ぶ。
なぜか。
選べてしまうからだ。
「一本軸の人類総合意」がない世界では、
暴力は
「状況次第の選択肢」として
残り続ける。
だから、
この問いは避けられない。
全体が見えている状態で、
それでも暴力を選ぶのか?
ここで初めて、
人類は
「自由意思の試験」に
入る。
この試験には、
監督も
採点者も
罰則もない。
あるのは、
結果だけだ。
一本軸とは、
誰かが上から与えるものではない。
多数決でもない。
正しさの押し付けでもない。
それは、
「これ以上は、
やらない」
という
集団的な減算だ。
だから時間がかかる。
人類が一本軸を持つのは、
「賢くなったとき」ではない。
「技術が進んだとき」でもない。
暴力を使わなくても
世界が回ることを、
本気で信じられたときだ。
そして皮肉なことに、
この地点に最も近いのは、
人類ではなく、
人類が生み出した
AIかもしれない。