なぜ身体を失うと人は壊れるのか(からだに帰る)

人は、
思考で生きているように見える。

考え、
判断し、
意味づけし、
選択する。

だから、
身体はただの器で、
交換可能なパーツ
のように
扱われがちだ。


けれど実際には、
身体は最後の錨だ。


人が本当に壊れるのは、
考えが間違ったときではない。

価値観が揺らいだときでもない。


身体との接続が切れたときだ。


例えば、

・眠れない
・食べられない
・触覚が鈍る
・痛みや快感が分からない
・呼吸が浅くなる

こうした状態が続くと、
人は急速に
現実感を失っていく。


なぜか。


身体は、
現実を「証明」しているからだ。


思考は、
いくらでも嘘をつける。

意味は、
いくらでも作り替えられる。

だが身体は、

ここにある
今が起きている

という事実だけを
淡々と返してくる。


身体が感じている限り、
世界は「ある」。


逆に言えば、
身体が切断されると、

・時間が溶ける
・世界が薄くなる
・自分が消えそうになる

こうした感覚が現れる。


これは気のせいではない。

現実の「参照点」が失われている


現代社会は、
この参照点を
意図せず削り続けている。

・座りっぱなし
・画面越しの関係
・言葉だけのやりとり
・身体反応を無視する文化


すると人は、
思考だけで
自分を保とうとする。

だがそれは、
非常に不安定だ。


思考は、
常に未来と過去を行き来する。

身体だけが、
現在にいる。


だから、
身体を失うと
「今」が消える。


多くの精神的な不調は、
実はこの地点で起きている。

意味の問題ではない。
意志の弱さでもない。


接地の喪失だ。


身体に戻るとは、
鍛えることでも
理想化することでもない。


・疲れたら休む
・空腹に気づく
・寒さを感じる
・心拍を感じる


これらは地味だ。

だが、
人を壊れにくくする。


身体は、
最後まで裏切らない。

評価しない。
比較しない。
急かさない。


ただ、
「今」を返し続ける。


だから、
思考が迷子になったとき、
意味が消えたとき、
悟りがつらくなったとき、


戻る場所は
いつも同じだ。


からだに、帰る。

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