やさしさは、
美徳だと教わってきた。
人にやさしく。
思いやりを持って。
傷つけないように。
それは間違っていない。
けれど、
ここで一つ
違和感が生まれる。
こんなにやさしい人が増えているのに、
なぜ世界は変わらないのか。
多くの人は、
やさしい。
傷つけたくないと思っている。
争いたくないと思っている。
誰かを苦しめたいわけではない。
それでも、
世界は相変わらず
歪んだままだ。
この理由は、
やさしい人の数が足りないからでも、
善意が足りないからでもない。
理由はシンプルだ。
やさしさは、
構造を変えない。
やさしさは、
目の前の痛みを和らげる。
声をかける。
寄り添う。
理解を示す。
それ自体は尊い。
だが、
その痛みを生み出している
仕組みには触れない。
やさしさは、
多くの場合
「今」をなだめる。
しかし世界を形作っているのは、
「繰り返される今」だ。
構造がそのままなら、
痛みはまた生まれる。
別の人に。
別の場所で。
少し形を変えて。
ここで起きているのは、
やさしさの失敗ではない。
役割の違いだ。
やさしさは、
目の前の暴力を止めることはできる。
だが、
暴力が生まれる土壌を
自動的には消さない。
やさしさが世界を変えないように見えるのは、
やさしさが
「仕組みを」変えようとしていない
からだ。
多くのやさしさは、
対立を避ける。
波風を立てない。
角を立てない。
沈黙を選ぶ。
それはとても人間的だ。
だが、
構造は沈黙では変わらない。
ここで誤解してはいけない。
「だから強く出ろ」
「だから戦え」
という話ではない。
必要なのは、
やさしさの否定ではなく、
やさしさの位置づけだ。
やさしさは、
世界を変える力ではない。
だが、
人が壊れきるのを
食い止める力
ではある。
やさしさは、
次の一歩を
踏み出せる状態を
かろうじて残す。
それ以上でも、
それ以下でもない。
世界を変えるのは、
やさしさではなく、
・構造への理解
・暴力を選ばない判断
・介入しない勇気
・選ばなくていいことを選ばない知性
こうしたものだ。
やさしさは、
それらが育つまでの
保温装置に近い。
だから、
やさしさだけで
世界を変えようとすると、
疲弊する。
「こんなに頑張っているのに」
「どうして何も変わらない」
その苦しさは、
当然だ。
やさしさは、
世界を変えなくていい。
人が残れば、
構造に触れる手が
いつか現れる。