言葉は、
本来やわらかい。
触れれば、
意味が伝わる。
気持ちが届く。
けれど時々、
言葉は刃物になる。
殴らなくても、
血は出なくても、
確かに人を切る。
言葉が刃物になる瞬間は、
内容の強さでは決まらない。
汚い言葉かどうかでもない。
声の大きさでもない。
決定的なのは、
逃げ場があるかどうかだ。
言葉が刃物になるのは、
その言葉を、
受け取らない自由が
奪われたとき
だ。
例えば、
「お前のためを思って言っている」
この言葉自体は、
一見やさしい。
だがこの一文は、
同時にこう告げている。
「これは拒否できない」
拒否すれば、
「善意を踏みにじった人」になる。
沈黙すれば、
「分かっていない人」になる。
このとき、
言葉はもう刃だ。
刃物の怖さは、
切れることそのものよりも、
切られる側が、
身動きできないこと
にある。
言葉の暴力も同じだ。
・立場が違う
・関係性が固定されている
・評価が紐づいている
こうした状況では、
言葉は簡単に刃になる。
特に危険なのは、
「正しさ」をまとった言葉だ。
正しい言葉は、
反論を許さない。
なぜなら、
反論は「間違い」になるからだ。
ここで、
対話は終わる。
残るのは、
一方通行の切断だけ。
言葉が刃物になるもう一つの条件は、
相手の内側に入り込みすぎることだ。
・決めつけ
・人格評価
・動機の断定
「あなたはこういう人だ」
「本当はこう思っているはずだ」
これらは、
相手の内面を占拠する。
内側を奪われると、
人は深く傷つく。
なぜなら、
そこは最後の自由領域だからだ。
では、
言葉を刃物にしないためには
どうすればいいのか。
答えは派手ではない。
・断定しない
・急がせない
・余白を残す
・「違ってもいい」を残す
たったこれだけだ。
言葉は、
相手の自由意思の上に
そっと置かれるときだけ、
道具でいられる。
踏み込んだ瞬間、
刃になる。
沈黙もまた、
言葉の一部だ。
相手が考える余地を残すことは、
最も非暴力的なコミュニケーションだ。
言葉は、
世界を変える力を持つ。
だからこそ、
刃にもなる。