なぜ正しさは争いを生むのか

正しさは、
世界を良くするためにある。

少なくとも、
そう信じられている。

けれど現実には、
正しさほど、争いを生むものはない。

これは皮肉ではなく、
構造の話だ。


まず前提として、
正しさには重さがある。

それは
「私は間違っていない」
という感覚を与える。

同時に、
「誰かが間違っている」
という前提を生む。

この二つは
切り離せない。


正しさは、
単なる意見ではない。

それは、
世界をどう切り取るかという座標だ。

何を重要とし、
何を無視し、
何を許し、
何を排除するか。

そのすべてが
一つの軸に束ねられている。


問題は、
この軸が
世界で一本に定まっていないことだ。

人はそれぞれ、
異なるレイヤに立ち、
異なる影響範囲で生きている。

だから、
同じ出来事でも
違う「正しさ」が立ち上がる。


例えば、

・安全を最優先する正しさ
・自由を最優先する正しさ
・効率を最優先する正しさ
・弱者を守る正しさ

これらは、
すべて正しい。

だが、
同時には成立しないことが多い。


正しさが争いになる瞬間は、
たいていこうだ。

自分の正しさが、
他人の自由意思を
侵しはじめたとき。

そのとき正しさは、
提案ではなく
命令になる。


ここで人は、
無意識にこう思う。

「正しいのだから、従うべきだ」

この一文が、
争いの扉を開く。


なぜなら、
人は正しさに従う前に、
自分で選びたいからだ。

たとえ
同じ結論に至るとしても、

「選ばされた」と感じた瞬間、
抵抗が生まれる。


正しさは、
力を持つ。

そして力は、
関係性を変える。

・対等だった対話が上下になる
・説明が説得に変わる
・説得が圧に変わる

この変化が、
争いとして現れる。


もう一つ、
重要な点がある。

正しさは、
修正されにくい

なぜなら、
修正するということは
「これまで間違っていた」
可能性を受け入れることだからだ。

これは、
人間にとって
非常にコストが高い。


だから人は、
正しさを守るために
争いを続けてしまう。

相手を説得したいのではなく、
自分の軸を保ちたいだけなのに。


では、
正しさを捨てればいいのか。

そうではない。

必要なのは、
正しさを
握らないことだ。


正しさは、
使うものではなく
置くものだ。

・必要なときに取り出す
・不要なときは置いておく
・他人に押し付けない

この距離感がないと、
正しさは必ず刃になる。


争いが生まれるのは、
正しさが悪だからではない。

正しさが「一本の、絶対的な軸だ」と錯覚されたとき
争いは避けられなくなる。

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