考えすぎる人は壊れているのか

「考えすぎだよ」

この言葉は、
慰めのようでいて、
ときどき刃物のように刺さる。

考えすぎている本人は、
好きで考えているわけではないからだ。

止められるなら、
とっくに止めている。


考えすぎる状態とは、
思考量が多いことではない。

むしろ問題は、
思考が循環してしまっていることにある。

同じ問い。
同じ後悔。
同じ想定。
同じ結論にならない結論。

出口のないループ。

これは「思考」よりも、
反射に近い。


人間の内部には、
外から入った刺激を
何度も跳ね返す性質がある。

不安。
恥。
恐怖。
期待。

それらが一度入ると、
内部でエコーを起こし、
減衰せずに回り続けることがある。

考えすぎとは、
新しい情報を処理している状態ではなく、
同じ反射を何度も聞いている状態
だ。


この状態は、
意志の弱さでも、
性格の欠陥でもない。

多くの場合、
過去に「考え続けなければならなかった」
経験の名残だ。

失敗を避けるため。
怒らせないため。
見捨てられないため。

考え続けることで、
身を守ってきた。

それが、
必要なくなったあとも、
自動で動き続けているだけだ。


だから、

「もっと気楽に考えればいい」
「深く考えなくていい」

という助言は、
ブレーキの壊れた車に
「ゆっくり走って」と言うようなものになる。

仕組みが違う。


考えすぎている人は、
壊れているのではない。

過去の環境に、
過剰に適応したまま残っている

それだけだ。

適応は、生存のために起こる。
壊れるのは、
適応が不要になったあと、
切り替えられないときだ。


切り替えは、
思考では起こらない。

思考を止めようとしても、
反射は止まらない。

必要なのは、
反射が起きている「場」を変えることだ。

身体を動かす。
呼吸を変える。
環境を変える。
誰かと、意味のない会話をする。

それらは、
思考を説得するのではなく、
反射の経路そのものをずらす


考えすぎる人は、
世界を深く見てしまう人でもある。

ただし、
深く潜りすぎると、
浮上の仕方を忘れる。

壊れているのではない。

浮上用の手すりが、
まだ用意されていないだけ
だ。


考えすぎていると気づいたら、
結論を出そうとしなくていい。

「また反射しているな」

そう気づくだけで、
ループはわずかに緩む。

それで十分だ。

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