8 最適配分という視点

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第8章 最適配分という視点

――頭脳と身体を、敵にしないために

前章7 頭脳に血が集まりすぎた社会では、
血=お金が頭脳に集まりすぎた社会の姿を、
人体の比喩で見てきた。

ここで一つ、
はっきりさせておきたい。

この話は、
「頭脳労働が悪い」
という主張ではない。


頭脳も、
身体も、
どちらも必要だ。

設計がなければ、
現場は迷う。
現場がなければ、
設計は空回りする。

問題は、
どちらが上かではなく、
どこに、どれだけ配分するか
という話だ。


生命の世界を見ても、
最適配分という考え方は
当たり前に存在している。

筋肉だけが発達した生物も、
脳だけが巨大な生物も、
自然界には存在しない。

環境に応じて、
必要な部分に、
必要なだけの資源を回す。

それが、
生き延びた生命の姿だ。


経済も、
本来は同じはずだった。

  • どこが止まると致命的か
  • どこに負荷が集中しているか
  • どこが消耗しているか

それを見ながら、
配分を調整する。


だが現実には、
配分は
「影響力」によって決まる。

止められる場所より、
止められない場所へ。
声の大きい場所より、
沈黙する場所へ。

そうして、
身体の仕事に
負荷が溜まっていく。


ここで重要なのは、
止められない仕事ほど、
本来は高く評価されるべきだった

という点だ。

道路は、
一日でも止まれば困る。
バスは、
走らなければ人が動けない。
介護は、
待ってくれない。

この「不可逆性」は、
本来、価値の高さを意味する。


にもかかわらず、
評価は逆転した。

止められる仕事、
代替できる仕事、
延期できる仕事の方が、
高給で「高級」とされた。

なぜか。


理由は単純だ。

止められない仕事は、
交渉力を持ちにくい

現場が止まれば、
自分たちが一番困る。

だから、
声を上げにくい。
条件を突きつけにくい。


一方、
止められる側は違う。

投資を見送る。
会議を延期する。
判断を保留する。

それだけで、
圧力になる。


こうして、
配分は歪む。

合理性ではなく、
力関係によって。


もし、
本当に最適配分を目指すなら、
基準は変わるはずだ。

  • 止まったときの社会的損失
  • 代替の困難さ
  • 身体的・精神的消耗

これらを、
正面から評価する。


そう考えると、
身体を使う仕事は、
むしろ高給であるべきだ。

それは特権ではない。
危険手当でもない。

社会が続くための、
合理的な配分だ。


今回のバス運転手の件も、
この視点で見れば違って見える。

信頼を損ねた。
それは事実だ。

だが、

  • 過去の功労
  • 仕事の不可欠性
  • 将来の生活保障

それらを、
一気に切り捨てる判断が、
最適だったとは言い難い。


最適配分とは、
感情でも、
見せしめでもない。

設計の話だ。


次章9 制度は誰の身体の上に立っているのかでは、
ここまでの議論をまとめながら、
最後の問いを置く。

この制度は、
誰の身体の上に立っているのか

そして、
私たちはそれを
どこまで自覚しているのか。

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